photo by Paul Dauer ルーシー・リーはオーストリアのウィーンで生まれ育ち陶芸を学んでいます。 ナチスの台頭とともに大きくなったユダヤ人迫害を逃れて夫とともに ロンドンに渡り、1995年に亡くなるまでその後の一生をハイドパーク近くの アルビオン・ミューズで過ごしました。 故郷のオーストリアで個展を開く話が幾度か出ましたが、そのつど ルーシー・リーは、きっぱりとウィーンでの開催を拒否しました。 どのような思いがあったのか、今となってはわかり得ませんが、ルーシーは ロンドンに渡った時点で、オーストリア人であることからきっぱりと 決別したように見受けられます。イギリスを愛しイギリスに帰化できた ことを喜び、イギリス人であることを誇りにし感謝していました。 ルーシー・リーの唯一現存するBBCのフィルムをプロデュースした シリル・フランケルはウィーンで展覧会を開催したいとルーシー・リーに 申し入れていますが、「私が死んだらいいわよ」と言われた、と 記しています。 ウィーンの人たちが失った偉大なものを見せたいと願っていた シリル・フランケルは、ルーシー・リーが亡くなって4年目にやっと それを実現させました。 ウィーンの工芸美術館MAKのディレクターからの要請でシリル・フランケルが 企画して故郷のウィーンで初めてルーシー・リーの展覧会が開かれたのは 1999年のことでした。
20世紀を代表する最も偉大な陶芸家として記憶されるルーシー・リーとハンス・コパー。そしてバーナード・リーチ。その作品と彼らに関わった人たちのこと、そして見聞きした展覧会のあれこれを思い浮かぶままに。ルーシー・リーとハンス・コパーの作品を愛するひとへ。