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Showing posts from July, 2009

ハンス・コパーのディグズウェル時代

ハンス・コパーは1959年、教育者だったヘンリー・モリスに 誘われてディグズウェルの、いわばアーティスト村に 移り住んだ。そこにはすでに織りのピーター・コリングウッドを はじめとした彫刻家や画家が移り住んでいた。 ここでコパーは多くの芸術家や建築家と出会う。 音響効果のあると言われたタイルのデザインや数理的タイル と言われる組み合わせタイル(従来のレンガの壁に対して 薄く作ることが出来る)も作っている。量産され 様々な壁材として使われた。 また、ロンドンから2時間ほどのコベントリー大聖堂の燭台は 今も大聖堂の祭壇両脇に3本ずつ置かれている。この燭台の マケットも9月からのハンス・コパー展で展示されます。 また同じコベントリー大聖堂には、あまり知られていないが そろばん形の燭台もある。以前は持ち運んで使っていたが 今は価値があまりに高くなって安全のため木製のテーブルに 固定されている。 聖職者の宿舎の庭には同じくハンス・コパーの作った巨大な 花生けが半ば放置されている。6,7個残されているが その一つには花が植えられていた。ただし、あまり手入れの されていない様子だ。フェスティバルの時、野外で 花を生けたり植え込んだりして使うのだということだ。 (コパーは一時期グラスファイバーとセメントを混ぜて型を 作ったことがあるので、この植木鉢も恐らくコパーが型を作り、 コンクリートでいくつか作られたものと思われる)

ハンス・コパー展の作品

9月12日から兵庫陶芸美術館で立ち上がる 「ハンス・コパー展 - 20世紀陶芸の革新」では ハンス・コパーの作品約120点はもとより、ドローイング、手紙、 ブロンズのポット、ハンス・コパー作ルーシー・リーの胸像、 娘と息子を描いたデッサンなど、ハンス・コパーを 芸術家として全体像を見せる回顧展となっている。 またハンス・コパーの芸術との深い関係を示唆する ルーシー・リーの作品約30点を展示予定です。 メトロポリタン美術館の20世紀デザイン部門コンサルタント J. ステュワート・ジョンソン氏はルーシー・リーとハンス・コパー の二人展をアメリカの美術館で最初に開催した人物だが こう述べている。 Without her, he never would have happened as a ceramist. Without him she might not have returned to serious potting. ルーシー・リーと出会わなかったらハンス・コパーは 陶芸家になることはなかったであろうし、彼女もまた ハンス・コパーがいなかったら本来の作陶にもどることは なかったかもしれない。 この言葉はとても控えめに述べられている。実際お互いの 助言や存在がなかったら今に残る作品群はあり得なかった だろう、と多くの人が考えている。 これはバーナード・リーチがルーシー・リーの作品について あまりにも人為的で謙虚さがない、と批判し、ルーシー・リーが 自分の作品に対して自信を失っていたからだった。 リーチの批評に打ちのめされていたルーシー・リーが ハンス・コパーの 「自分の作りたいものを作ればよい、 自分の本来の作品にもどって」 と励まされて、その後の様々な形、色、見る人を魅了する 作品が生まれたことを指す。 ハンス・コパーはどちらかというとルーシー・リーの助手 または生徒と見なされ、そのように捉えた文章も見かけるが 実際は逆の立場だった。リーがコパーの意見を求め 相談し常にコパーの創造性を高く評価していた。 ルーシー・リーにとってハンス・コパーの作品こそが 他の誰も追従をゆるさない唯一の優れた作品だった。 これはハンス・コパーをロイヤル・アカデミー・オブ・アート の講師として招いたデイヴィド・クイーンズベリー卿が 次のように述べたことにも表れている。 「ルーシー・リー