Skip to main content

Posts

Showing posts from 2010

ルーシー・リーの素焼きボタン

岩手県立美術館で開催中のハンス・コパー展に
ボタンやブローチが展示されている。

その中に他とは表情の異なる葡萄色のボタンが2点ある。
素焼きに釉薬が塗られてそのまま完成していないボタンだ。
写真がないので美術館でご覧頂くほかないのですが。

ルーシー・リーもハンス・コパーも素焼きをせず
一度焼成で作品を制作したことは良く知られている。
そのためにどこまでが粘土そのものでどこからが
釉薬か化粧泥かはっきりと見極めることは難しく
それらが一体となった豊かな表情が特徴だ。

ところがボタンは素焼きしたものが何点か残されている。
ボタンに関しては型を使い素焼きして釉薬を塗り本焼き
する通常の陶芸制作方法をとっている。

これはボタンの制作が量産体制であったこと、素焼きして
準備しておくことで注文に素早く応える必要があったためと
思われる。数年前の三宅一生氏のルーシー・リー展では
600点以上にもなるボタンが展示されていた。すべて
色とりどりに釉薬の塗られた美しいボタンだ。

ボタンは今でもたまにロンドンのボタン専門店で
ルーシー・リーのボタンが売りにでる。けれど未完成の
素焼きボタンに魅力を感じるのは恐らく美術館だけだろう。

そのおかげで私たちは素焼きのボタンを通して制作の
過程をかいま見ることができる。そして戦争が終わって
明るい色のボタンがどんなに魅力的に輝いたことか
時代に想像を巡らせることもできる。

岩手県立美術館でのハンス・コパー展

山に囲まれた美しい街盛岡の岩手県立美術館
ハンス・コパー展が開催されています!

数々のワークショップやイベント関東や
他県からの申し込みも多く関心の高さが伺えるといいます。

また岩手でコパーが見られるなんて感激、という声が寄せられて
いるそうです。東北での唯一の開催とあって新聞やテレビの
サポートも厚い。ここでの展示構成は今までの巡回館と異なり
コパーと強い繋がりのあるルーシー・リーの作品が二人の
出会いの頃のコーナーにまとまっています。

雪の街、盛岡へハンス・コパーとルーシー・リーに会いに
行きませんか?

中田英寿さんがハンス・コパー展へ

東京の汐留ミュージアムでは最後の2日間は開館以来始めてと
いう入場制限をしたほど多くの方が見に来られた。

その後ハンス・コパー展は東京の汐留ミュージアムから
岐阜県現代陶芸美術館へ巡回し、その岐阜会場も
残すところ3週間あまりとなった。

岐阜でもコパー展は好評のうちに進んでいるという。
オープン前夜には元サッカー選手の中田英寿さんが
見に来られた。沖縄から今年はずっと日本の工芸を
テーマにまわっているとのことで、館長と学芸の方が
会場を案内しておられた。

美術館を含む複合施設であるセラミックパークMINOの
建築は磯崎新の設計で美術館展示室は、吊り免震構造で
世界初となる「並進振子免震システム」を採用しているという。

ここの美術館ではヨークシャーの学校から借用している
ディスクの壁が特別な位置に設置されている。
全6会場のうち、唯一ディスク壁が大きなガラスを通して外に
面しているのだ。

ディスク作品の向こうに輝く緑の木々が見える。
自然光の中で見るディスクはきっとコパーが学校に設置した
時と同じ表情をしているのだろう。

世紀の陶芸家ハンス・コパー

NHKの日曜美術館で22日、ハンス・コパーが紹介された。

番組には妻で写真家ジェイン・コパーを含む3人の貴重な
証言が記録されている。

最初、映像には係わらない、と言っていた妻のジェイン・コパーが
コパーを語る。最初で最後の映像だろう。タバコをスパスパ
吸いながら、コパーに資料を焼き捨てるように言われたこと、
限りない信頼を寄せ合っていたルーシー・リーとハンス・コパーの
たぐいまれなパートナーシップのこと、丘に眠るコパーの遺灰に
ついて。

コパーを王立芸術大学院に招聘したデイヴィッド・クイーンズベリ卿も
インタビューに答えている。高齢ながら現役のデザイナーで
クイーンズベリ・ハントというデザイン会社を経営している。
少数のデザイナーの集団で数々のデザイン賞を受賞している
輝かしい経歴の持ち主だ。ここのデザインディナーウェアは
最も高質なデザインの一端を担うとされ、アメリカのCrate & Barrelや
ウェッジウッド、ローゼンタール、ハビタットなどからの
プロジェクトに参画している。

また、アリソン・ブリトンはコパーの教え子の一人でイギリスの
現代陶芸の担い手として活躍している。滋賀県の陶芸の森での
招待作家としてこの春来日、制作した。イギリスの最も
良質な部分を体現した知識人で論客でもある。作品は世界の
さまざまな美術館にコレクションされている。

番組ゲストの乾由明氏は京都大学の名誉教授で兵庫陶芸美術館
の館長。ハンス・コパーにもルーシー・リーにも実際に会った
数少ない日本人の一人だ。

司会の姜尚中氏は東大で教える政治学者として数多くの著書がある。
ロンドン取材の映像を見ながらスタジオの姜尚中、乾由明、
アナウンサーの中條氏がコメントをしていく構成だ。

詳細は29日夜の再放送を見ていただきたいが、心に沁みる
静かで力強い、また貴重な映像と思う。

27日10:05の「歌うコンシェルジュ」という総合テレビの番組
でも日曜美術館本編を編集したものが放映されるそうです。

NHK日曜美術館ハンス・コパー

「そして不思議な形だけが残った 
    - 世紀の陶芸家ハンス・コパー」

NHKの日曜美術館ハンス・コパー紹介の番組では最後まで
タイトルの検討がなされましたがほぼ上のタイトルになる
ようです。

コパーは亡くなる前、書き残したもの、手紙、自分に
かかわるすべてを焼くようにと言葉を妻のジェインさんに
残しました。自分の痕跡を消そうとした作家。作品だけで
自分を伝えようとした作家。残された資料があまりに
少なく、コパーを直接知る人も高齢なため、このフィルムは
陶芸界にとって非常に貴重な資料となることでしょう。

病に冒され作る事はもちろん、話す事も困難になっていくとき
それでもキクラデスフォームを片手で作り続けたコパー。
そしてあとに何も残さない事を願ったコパー。どんな気持ちで
そう遺言したのでしょう。

8月22日の放送に向けてスタジオ収録が行われました。
スタジオでは兵庫陶芸美術館館長の乾先生がゲストとして出演され
姜 尚中さんとアナウンサーの中條さんとの対話でビデオ映像を
見ながらコパーが紹介されます。

実際の作品を前にしての解説なので、より一層、語られる作品を
身近に感じる事ができるでしょう。

ハンス・コパーは「どう作るかではなく何故作るか」を生涯
問い続けた作家でした。HOWではなくWHYが大切だとロイヤル
アカデミー大学院で生徒にいつも語ったということです。

姜 尚中さんの、

「何故作るかを問う事は
何故生きるかを問う事に繋がる」

という言葉はコパーの作品を深く理解した人の解釈として
心に響きます。

「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新」は9月5日まで
汐留ミュージアムで開催されています(8/12〜16日は夏休み)。
このあと岐阜県現代陶芸美術館、岩手県立美術館、静岡市美術館
に巡回します。

8月22日の日曜美術館をぜひご覧ください。

ハンス・コパーとパイオニア兵団

1944年8月線路の修復工事に携わるパイオニア兵団
(Royal Pioneer Corp資料)
(Royal Pioneer Corp資料)


ハンス・コパーはナチスの脅威が迫った1939年、単身ロンドンへ
亡命した。家族はばらばらになり、ハンスもホテルに身を隠しながら
危機一髪でロンドンに渡った。

ところがやっと亡命したイギリスで、戦争がせまると今度は
敵国の人間ということで逮捕されカナダの収容所へ送られる。
そしてパイオニア兵団に入ることを条件にまたイギリスへ
もどされることになる。

ハンスがパイオニア兵団にいたのは1941年から1943年の2年弱だ。
ここでハンスは過酷な労働によって身体を壊し除隊になった。

このパイオニア兵団なるもの、これはイギリス陸軍でありながら
アフリカ諸国、モーリシャス、インドなどからリクルートされた
労働者集団であった。また戦争捕虜であるユダヤ人が
パイオニア兵団に組織された。

建設労働力としての兵団を組織する考え方は古くからあったようだが
イギリス陸軍で正式にパイオニアの名前が記せられるのは
1762年だ。ロイヤル・パイオニア兵団なる
ものが組織され、それは名を何度も変えながら1940年に
「パイオニア兵団」となり、戦後は戦時中の功績をたたえられて
再び「ロイヤル」の名を付され「ロイヤル・パイオニア兵団」
となった。

「パイオニア」とはもともと道を開拓する歩兵、労働者を意味
する言葉というが、実際パイオニアと呼ばれる兵士たちは、
ていの良い安い労働力としてシャベルで道を掘り、溝を掘り、泥に
埋まって過酷な労働を強いられた。
パイオニア兵団の役割は建設と労働、と明記され、
帽子の印章には斧がデザインされている。

1945年には将校12,000人、イギリス人兵士166,000人、
イギリス連邦各地からのリクルート兵400,000人
パイオニア歩兵、一般市民から労働力として1,074,000人、
戦争捕虜や収容所から173,000人と、陸軍最大の部隊となった。
(Royal Pioneer Corps HPより)

この時代のことをハンスは決して語らなかったという。

ロイヤル・カレッジ・オブ・アーツでのかつての教え子の一人は
ある時一度「自分はカナダにいたことがある」とハンスが言ったのを
聞いている。「収容所」でもなく「パイオニア兵団」でもなく
「カナダにいた」と言ったときハンスの心には何が浮かんだのだろう。

8月22日NHK日曜美術館「ハンス・コパー」

NHKの日曜美術館でハンス・コパーが紹介されることになりました。

放送日は
本放送が、教育テレビ8月22日(日)の午前9時〜10時
再放送が、教育テレビ8月29日(日)の午後20時〜21時


20世紀陶芸の巨匠の一人と目されるハンス・コパーは
バーナード・リーチやルーシー・リーに比べて知名度が高くなく
知る人ぞ知るという存在でした。

没後初めての本格的な回顧展
「ハンス・コパー展 ー20世紀陶芸の革新」が
昨年兵庫県陶芸美術館をかわきりに、今年信楽の陶芸の森を
巡回して今東京の汐留ミュージアムで開催されています。

ニューヨークタイムズの美術評で
「運命がふたりの出会いをもたらした」と紹介されルーシー・リー
とハンス・コパーの希有な友情についてはよく知られたところですが
ハンス・コパーに焦点をあてたフィルムは本国イギリスでも制作
されていません。

古代文明を思わせるそのそぎ落とされた造形によってまさに
陶芸界に革新をもたらしたハンス・コパーの、激動に生きた
生涯が明らかになることでしょう。

「ルーシー・リーはきれい好き」??

ルーシー・リーの器の高台下部が無釉になっていることについて
釉薬が垂れてたな板に付くのを避けるため、とかそれをさらに
広く解釈してきれい好き、とどこかにあった。

はっきりとした文章として覚えていないので、私がその文章を
正しく理解していないのかもしれないが、記憶のままとするなら
それは正しくない。工房はきちんと整理されていて
きれい好きはあっているだろう。けれど無釉の部分について
たな板をよごさないため、という説明は間違っている。

そのような理由で彼女が作品の装飾を決めることはありえない。
なぜなら、釉薬がたな板に垂れることを避けるための対策は
他の方法でおこなっているからだ。

ルーシー・リーは作品の下に環にした粘土をつけて焼成している。
そしてその環を落とさずに窯詰めするためにのりで作品の底に
着けるなどの工夫をしている。そうでなくても、そんな理由で
作品のデザインをする人はいないだろう。もしかすると
その文章はただのユーモアを意味したかったのかもしれない。

では何故無釉の部分があるか。ルーシー・リーは明らかに
積極的な意味でそうしている。この部分を残すことでリーは
作品に凜とした緊張感を与えている。特に華麗な色を
つけた磁器の作品を見るとこれが良くわかる。

この無釉の部分がなかったら、と考えると一層あきらかだろう。
ハンス・コパーとルーシー・リーの作品の共通点、これは
ピンと張り詰めた緊張感と言えると思う。リーにあってはこの
無釉の白い地肌が、またコパーにあってはキクラデスなど
細い一点を接するだけで立ち上がるかたち。

それが二人の作品に共通する静謐な空間を生み出している。
この、緊張感、凜と立ち上がるかたち。これが二人の創り出した、
バーナード・リーチの作品から対極にある空気ではないかと思う。

ついでに言うならリーチの作品はその模様も含めて暖かい。
あくまでも安定して危うさはない。

オーストラリアの陶芸家、グウィン・ハンセン・ピゴットが
若い頃ロンドンでコパーの個展を見に行ったとき、地下の
ギャラリーに降りていったときの印象を語っていた。

「階段を半分下りていったときコパーの作品が見えた。
その時の気持ちは今もありありと覚えている。
人がいるのにその部屋、その空間の空気が凍っていた。
緊張感にあふれ、凍り付いていた。人がいて話し声が
あるのに、静かな静謐な、あくまでしんと静まりかえった
空間だった」

コパーの印章ふたたび

初期のサインLRとHC

写真は上下反対にCHと写っている

コパーの印章をもう一つご紹介します。信楽の陶芸の森で
開催中の「ハンス・コパー展 ー20世紀陶芸の革新」に
出品されている作品のひとつです。

ていねいに作られた伸びやかで大らかな美しい印影。コパーは
ルーシー・リーの印章も素焼きや石膏で作りました。リーの
印章も同じ細い凸形のイニシャルで二人の共同作品には
二人の印章がならんでいます。食器類の多くはコパーがろくろを
ひき、リーが釉薬を塗っています。

上記展覧会はいよいよ東京にやってきます!
6月26日より東京の汐留ミュージアムで開催。

ハンス・コパーのもう一つの燭台

ハンス・コパーの有名な燭台はロンドンから2時間ほど北の
コベントリー大聖堂にある。2メートルを超える大なもので
今回のハンス・コパー展にそのマケットが展示されている。

あまり知られていないが、ハンス・コパーはもう一対の
燭台を作り、今はロンドン市内のセント・ステファン・ウォルブルック
教会にある。これは一度オークションにかけられ、それに反対
する人たちの抗議でオークションで落とされてからこの
教会に寄贈されたものだ。

燭台は現在工事のため教会の倉庫に保管されているがこの
写真は一点だけ倉庫から取り出して祭壇に飾って見せてくれた
ものだ。

なお、この祭壇はヘンリー・ムーアの作品。ヘンリー・ムーアの
「祭壇は教会の中心に、教会はロンドンの中心に」在るという考えの
もとに、祭壇は教会の奥まったところに位置するのではなく
明るい空間の中央に置かれ、祈る者はそのまわりにひざまづく。
何トンもあるトラバーチン大理石がゆるやかなカーブに削られ
コパーの黒いボリュームある燭台が映える。

ハンス・コパーの花器

以前紹介したと思うが、ハンス・コパーの花器には
中にステムホルダーが作られている。
ステムホルダーとは花を生けたとき、茎がばらばらに
ならないように作られた花器の中の器のことだ。

この花器は3つの部分をろくろでひいて合接している。
シリンダー形のベース、上に乗ったカップ形のボディ、
そしてベースとボディを突き抜けて中にまっすぐ延びる
ステムホルダー。

ボディはろくろびきしたあと、両側から押してえくぼの
ようなアクセントのある楕円(長方形)になっている。
金属を思わせる黒は微妙に色を変え表情を変える。

ステムホルダーの底には印章が押されている。のびやかな
美しいコパーのサインは、Hを下にして見るように押されている。
Hを下に、その上にCを乗せることで、ろくろの上に器が
乗っている形を作っている。コパーのユーモア溢れるサインだ。

国立新美術館 ルーシー・リー展

国立新美術館「ルーシー・リー展」カタログ表紙


東京国立近代美術館企画のルーシー・リー展が開催された。
国立新美術館でのルーシー・リー展オープンは雨にも
かかわらずごったがえすほど沢山の人だった。
会場を見るにもぞろぞろと行列を作って見てまわる。

先にウェッジウッドのカップ・アンド・ソーサーを見に行く。
淡い水色のジャスパー・ウェアのプロトタイプ21点。
リーもコパーもコーヒー飲みであったから、これくらい小さな
手のひらに入るようなカップを好んだのかもしれない。

ハンス・コパーもルーシー・リーも器にこだわった。
ルーシー・リーはくりかえし「私はポットを作るだけ」と
言い、BBCのフィルムはもちろんBBCラジオでも
「使う物を作る」と語っている。

コパーも「Art should function.」「Sculpture should function.」
と語ったと伝えられる。「芸術は機能すべき」ということだ。
花生けの中には枝が広がらないように支えるカップ(ステム・ホルダー)
が作られている。

その同じものをルーシー・リーの花生けにも見ることができる。
1950年代の作品でシリンダー形の花生けの中にもう一つ細い
シリンダーが入っている。マンガン釉薬のボディに白い
釉薬の口縁、そこにマンガンの細い線が象嵌されている。

50年代はハンス・コパーもまだアルビオン・ミューズの工房に
いたときなので二人で同じようなステム・ホルダー(枝の支え)
のある花生けを作っていたのは興味深い。使う作品を作る、という
明確な意図があったのだろう。

ただ、いかに作家自身が「使える器」とはいってもルーシー・リーの
80年代後半の器、またハンス・コパーのキクラデスに至る器たちは
とても実際の用に用いることは難しいだろう。もし自分の所蔵品
であれば、ちょっと花を生けてみたらどんな景色だろうと、ふと
思ってしまうけれど。

カタログはとても美しい。335ページ。いかにも高そうな高そうな
装丁だ。ピンクの象嵌の器をイメージした見返し、花布、しおりひも
が付いて品の良い華やかさだ。

個人的な趣味で言えばウェッジウッドのブルーの花布も
さぞすてきだったろうと思う。でも少し寂しくなってしまうだろうか。

ルーシー・リー展と火山灰

ヨーロッパの空が火山灰で覆われている。経済的な損失が計り知れ
ないと新聞に出ているが展覧会にも大きな影響がでている。

ロンドンのギャラリー、ギャルリ・ベッソンのオーナー、アニータ・
ベッソン氏のフライトがキャンセルされたという。

彼女は国立新美術館でのルーシー・リー展でルーシー・リーの
想い出を語る事になっていた。その前に信楽のハンス・コパー展も
訪れる予定だった。

他にも関係者の飛行機が次々キャンセルになり来日できない
状態になっている。ルーシー・リー展のオープンは28日ということ
なのでそれまでにフライトの再開ができることを願うばかりだ。

滋賀の陶芸の森美術館でのハンス・コパー展と国立新美の
ルーシー・リー展との両方を見るためにヨーロッパからも多くの
美術館関係者、コレクター、陶芸、建築、彫刻関係のアーティスト
や研究者が来日を楽しみにしている。

ハンス・コパー展とルーシー・リー展は他の美術館に巡回するので
また来日予定を変更すれば良いのだが国立新美のオープニングに
合わせて計画していた関係者やイベントレクチャーなどは本当に
困っているだろう。

反対に日本からヨーロッパに帰れない人たちもいる。
ハンス・コパー展に合わせて来日し、陶芸の森でコパーについての
講演
を行ったイギリスの陶芸家アリソン・ブリトン氏も果たして
帰国のフライトが予定通りなのかわからない状態だ。彼女は大学で
教えているので期日に帰れないと影響が大きいことだろう。
もちろん人の仕事や内容に優先順位はないけれど。

航空規制が解かれるのが一番最後になるだろうといわれるのが
イギリスとはルーシー・リー展にとってなんとも災難で
関係者が気の毒だ。けれど講演はまたあらたに予定することが
できるだろう。いのちに係わることが起こったわけでないのは
幸運なことだと考えるしかないのかもしれない。

2002年のルーシー・リー展と今のルーシー・リー展

「ルーシー・リー展 静寂の美へ」カタログ2002年


今月末、国立新美術館でルーシー・リー展が始まる。
アニメーションまで含んだ大々的な宣伝がスタートして
話題を呼んでいる。

 彼女の生き方そのもののようにシンプルで高潔、
 大胆で優雅なフォルムの器たち。
 20世紀を代表する陶芸家ルーシー・リーの
 没後初の本格的回顧展。
 、、、

と紹介されている。ただし、このキャプションは正しくない。

日本では2002年に
「生誕100年記念ルーシー・リー展 静寂の美へ」が実行委員会
による企画で準備され、滋賀県陶芸の森、愛媛のミウラート美術館
東京のニューオータニ美術館を巡回している。

これは1989年の三宅一生氏によるルーシー・リー展以降
まさに没後初の本格的回顧展であった。この時のカタログは
今も増刷を重ねている。オクスフォード大学客員教授で中国陶磁の
釉薬の権威ナイジェル・ウッド氏によるルーシー・リーの釉薬
調合を含む技法も掲載され大きな話題をよんだものだ。

作品はロンドンとアメリカを含む内外のコレクターから借用され、
ハンス・コパーが作ったルーシー・リーの頭像も出品された。
まさに没後初の大規模展であった。芸術新潮、ブルータスなど
数多くのマスコミにも取り上げられた。

この時の展覧会の人気を物語るエピソードがある。
これは最初陶芸の森とミウラート美術館での開催が終わった時点で
アメリカとロンドンの所蔵家に返却されることになっていた。

ところがその直前、ルーシー・リーの作品のもつ魅力が
引き寄せたともいえるが、ミウラート美術館のルーシー・リー展を
訪れた東京のニューオータニ美術館の方がぜひ
ニューオータニ美術館で開催したいと、
一度没になった開催企画をもう一度美術館に持ち帰って
交渉し、急遽開催が決まったのだ。

ニューオータニ美術館では場所柄もあり各界の著名人の姿が
目立った。また美術館の方にとっても驚きであったというが
従来の客層と違う人たち、若者の姿も際だって多かった。
しかも長時間作品の前に立ちつくし、
他の展覧会とは明らかに異なる鑑賞の姿をみせた。

その後も再度ニューオータニ美術館、栃木蔵の街美術館と
静岡アートギャラリーに巡回するあらたなルーシー・リー展
「器に見るモダニズム」も開催され多くのルーシー・リーの
ファンを生み出した。

今の、ブームとも言えるルーシー・リー人気を生み出したのが
2002年の静寂の美へ、と言えるだろう。それを抜きに…

バーナード・リーチとルーシー・リー

1952年ダーティントン会議でアルティガスとリーチとルーシー・リー
トニー・バークス著「ルーシー・リー」より

バーナード・リーチは初めルーシー・リーの作品を認めなかった。

オーストリアですでに数々の展覧会で入賞し新進の陶芸家
として活躍していたルーシー・リーの作品は最初イギリスでは
受け入れられなかった。

バーナード・リーチはルーシー・リーの作品を
「薄過ぎ」「釉薬は厚過ぎ」「人間らしさがない」と批判し
ルーシー・リーのことを「ウィーンから来たボタン作り」と
人に紹介していた。

いくらルーシー・リーが、バーナード・リーチなくしては
戦後のあの時期、イギリスの陶芸家は生き延びることができなかった
と感謝の言葉を述べていても、イギリスの陶芸界で「絶対」の
権威を誇るリーチの批判がどれほどルーシー・リーを傷つけただろうと
思わずにいられない。

しかし後にバーナード・リーチは『東と西を超えて』
(日本経済新聞社1978年)の中で
次のように述べている(以下福田隆太郎訳)。

  この時期にロンドンからわれわれに会いに
  やって来た女性の陶芸家がもう一人いる。
  ルーシー・リーである。
  彼女は非常に感受性の鋭いオーストリア人の若い
  芸術家であり、すでにウィーンでは名声を博して
  いたが、イギリスに落ち着く場所を見つけようと
  していた。戦争に突入する直前彼女が私に会いに
  来たダーティントンで、私が彼女をやっつけて、
  進路を変えさせたと彼女が言ったにもかかわらず、
  彼女はふつうの意味での私の弟子とは
  ならなかったし、彼女の陶器も、私の影響を
  どこにも見せていなかった。私はヘンリー・トンクス
  の手法をいくらか採り入れ、影響を受け、そこから
  学び取っていったに違いない。また、ウィーンの美術や
  工芸に対し、拭い難い偏見もあったのかもしれない。

ヘンリー・トンクスの言及とのつながりがここではよく
わからないが、リーチは、ルーシー・リーの作品に対して
「ウィーンの美術や工芸に関する
偏見があったかもしれない」と認めている。

またこれに続いて

  彼女はとても腕の良い陶芸家であったし、今もなお
  そうである。今日、ルーシー・リーの陶器は偉大な、
  そして永続的な、優れた女流美術家としての優美さを
  示していると私は思っている。彼女の作品の形は女らしいもの
  であるが、明快で確固としており、ときには枯淡で、
  常に彼女…

ハンス・コパー展 陶芸の森

いよいよ「ハンス・コパー展 - 20世紀陶芸の革新」が滋賀県の
陶芸の森陶芸館でスタートしました。

2009年9月からの兵庫陶芸美術館で大変な評判を呼び、NHKの
日曜美術館アートシーンのトップで紹介されました。

作品たちは兵庫会場とはまた異なる魅力に溢れています。美術館の
天井が高いため2メートルもの高さの写真パネルが追加されて
ハンス・コパーのろくろびきの写真とルーシー・リーのろくろ
びきの写真が10メートルほどの距離に向かい合っています。

今回の展覧会巡回のために作られた3x4メートルの大壁に
コパーの建築的作品、ウォールディスクが嵌め込まれ
壁の向こうへと空間が繋がっています。

お互いを抜きにしては語れないルーシー・リーの作品も
約20点ほど展示されてまさにコパーとリーの生涯とその
作品の全体を景観できる構成です。

ルーシー・リーの繊細で華麗な作品と、緊張感溢れる
コパーの究極のかたち。時間を超えた静謐な空間が
ひろがっています。

4月18日(土曜)にはキャンバーウェル美術学校で
コパーに陶芸を教わったイギリスの陶芸家アリソン・ブリトン
さんの「ハンス・コパーとルーシー・リー、そして
私の制作」と題する講演会が開かれます。

ルーシー・リー展とハンス・コパー展

ハンス・コパー展カタログより


今年はルーシー・リーとハンス・コパーの作品に魅せられる人
にとってすばらしい年だ。昨年秋から兵庫陶芸美術館で始まった
「ハンス・コパー展 - 20世紀陶芸の革新」が3月信楽に巡回し、
4月の終わりには国際新美術館でルーシー・リー展が始まる。

両展覧会とも来年夏まで各地を巡回し、日本のどこかで両方を
見ることができる。海外からもそれに合わせて多くの美術関係者
が来日を予定している。

ハンス・コパーは日本で初めて本格的に紹介される。
ルーシー・リー展は2002年の「生誕100年記念ルーシー・リー展
静寂の美へ」に続く大規模な展覧会だ。

上のルーシー・リー作品はハンス・コパー展で展示されている
作品でルーシー・リーの中でも最も美しい作品のひとつとされます。
イギリスの記念切手シリーズになった作品と同じタイプで
薄いピンクやグレー、ブルーが混じり合いエレガントに上に
のびる花生け。実際の作品は写真より少し色がやさしい。

口縁のゆらぎは成形のあとボディーを両側から押すことで
自然に生まれるものだ。プロポーションも色合いもまさに
ルーシー・リーのファンを魅了する逸品だ。この気品のある
作品はきりりと立ち上がり、それでいて口縁のやわらかい
ゆらぎはルーシー・リーの人柄そのものを彷彿とさせる。

コパー展巡回は3月12日から滋賀県立陶芸の森美術館です。