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Showing posts from March, 2010

バーナード・リーチとルーシー・リー

1952年ダーティントン会議でアルティガスとリーチとルーシー・リー
トニー・バークス著「ルーシー・リー」より

バーナード・リーチは初めルーシー・リーの作品を認めなかった。

オーストリアですでに数々の展覧会で入賞し新進の陶芸家
として活躍していたルーシー・リーの作品は最初イギリスでは
受け入れられなかった。

バーナード・リーチはルーシー・リーの作品を
「薄過ぎ」「釉薬は厚過ぎ」「人間らしさがない」と批判し
ルーシー・リーのことを「ウィーンから来たボタン作り」と
人に紹介していた。

いくらルーシー・リーが、バーナード・リーチなくしては
戦後のあの時期、イギリスの陶芸家は生き延びることができなかった
と感謝の言葉を述べていても、イギリスの陶芸界で「絶対」の
権威を誇るリーチの批判がどれほどルーシー・リーを傷つけただろうと
思わずにいられない。

しかし後にバーナード・リーチは『東と西を超えて』
(日本経済新聞社1978年)の中で
次のように述べている(以下福田隆太郎訳)。

  この時期にロンドンからわれわれに会いに
  やって来た女性の陶芸家がもう一人いる。
  ルーシー・リーである。
  彼女は非常に感受性の鋭いオーストリア人の若い
  芸術家であり、すでにウィーンでは名声を博して
  いたが、イギリスに落ち着く場所を見つけようと
  していた。戦争に突入する直前彼女が私に会いに
  来たダーティントンで、私が彼女をやっつけて、
  進路を変えさせたと彼女が言ったにもかかわらず、
  彼女はふつうの意味での私の弟子とは
  ならなかったし、彼女の陶器も、私の影響を
  どこにも見せていなかった。私はヘンリー・トンクス
  の手法をいくらか採り入れ、影響を受け、そこから
  学び取っていったに違いない。また、ウィーンの美術や
  工芸に対し、拭い難い偏見もあったのかもしれない。

ヘンリー・トンクスの言及とのつながりがここではよく
わからないが、リーチは、ルーシー・リーの作品に対して
「ウィーンの美術や工芸に関する
偏見があったかもしれない」と認めている。

またこれに続いて

  彼女はとても腕の良い陶芸家であったし、今もなお
  そうである。今日、ルーシー・リーの陶器は偉大な、
  そして永続的な、優れた女流美術家としての優美さを
  示していると私は思っている。彼女の作品の形は女らしいもの
  であるが、明快で確固としており、ときには枯淡で、
  常に彼女…

ハンス・コパー展 陶芸の森

いよいよ「ハンス・コパー展 - 20世紀陶芸の革新」が滋賀県の
陶芸の森陶芸館でスタートしました。

2009年9月からの兵庫陶芸美術館で大変な評判を呼び、NHKの
日曜美術館アートシーンのトップで紹介されました。

作品たちは兵庫会場とはまた異なる魅力に溢れています。美術館の
天井が高いため2メートルもの高さの写真パネルが追加されて
ハンス・コパーのろくろびきの写真とルーシー・リーのろくろ
びきの写真が10メートルほどの距離に向かい合っています。

今回の展覧会巡回のために作られた3x4メートルの大壁に
コパーの建築的作品、ウォールディスクが嵌め込まれ
壁の向こうへと空間が繋がっています。

お互いを抜きにしては語れないルーシー・リーの作品も
約20点ほど展示されてまさにコパーとリーの生涯とその
作品の全体を景観できる構成です。

ルーシー・リーの繊細で華麗な作品と、緊張感溢れる
コパーの究極のかたち。時間を超えた静謐な空間が
ひろがっています。

4月18日(土曜)にはキャンバーウェル美術学校で
コパーに陶芸を教わったイギリスの陶芸家アリソン・ブリトン
さんの「ハンス・コパーとルーシー・リー、そして
私の制作」と題する講演会が開かれます。