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Showing posts from 2009

ハンス・コパーのかたち - 砂時計形

from Bonhams catalogue

Hourglass 砂時計形とよばれる作品。1960年代に数多く作っている。
プロポーションやサイズを変えて同種の作品をグループとして作り続けた。
コパーはそれを「ファミリー」とよんでいる。この砂時計形も
比較的ふくよかなもの、エレガントにほっそりと上に昇る形

釉薬が割れたように地肌の見えるもの、すっきりとスムーズな肌
マンガンの濃い茶や赤っぽい色、白い泥粧。強いて言えば
後期になるにつれてよりほっそりとしなやかになっていくようだ。

同じパーツをいくつも作っておいて組み合わせながら合接して
同じファミリーをサイズ、プロポーションを変えながら
仕上げたのではないだろうか。

ハンス・コパーのかたち - キクラデス-3

from Bonhams catalogue

これはキクラデスのアロー・フォームとよばれる。
両方とも少なくとも3つのパーツをろくろ挽きしている。

コパーは75年、55才の時にALSと診断されて61才で
亡くなるがだんだん身体の自由が利かなくなってからも
このキクラデスフォームを作り続けた。

晩年は片手で作り、出来上がったそのほとんどを
つぶしてしまったという。見る者にはどんな基準で
その作品が生き延びることを許され、許されないか
わからないほどだったというが、コパーの自分に課した
高い基準に合致したものだけが存在を許されたと
いうことだろう。

ハンス・コパーのかたち - キクラデス-2

from Bonhams catalogue


from Phillips de Pury & Company catalogue

これは両方ともキクラデスのチューブ・フォームとよばれるかたちだが
上はベースと本体の2つのパーツから構成され、下の作品はベースを
含め3つのろくろ挽きされたパーツから成る。

極細い一点でベースと接続している点では他のキクラデスフォームと
同じだが、よりシンプルにまっすぐ上に延び、上部を両面から
押して楕円にしている。

下の作品の白い水平線がアクセントになって強いインパクトを与えて
いるがこれは実際にパイプ状の支柱(つく)にさして焼成した跡だ。
もちろんハンス・コパーはこれを意図して作っているだろう。

ハンス・コパーのかたち - キクラデス-1

from Bonhams HP





photo from Galerie Besson HP

ハンス・コパーのかたちで最も有名なのはキクラデス形だろう。
シンプルで考え抜かれた究極のかたち。時を超えた
はるかな昔に作られ、掘り出されたかたち。

これ以上削ぎ落とすところのないぎりぎりのかたち。鋭く
緊張感に溢れ、見る者の目を捉えて離さない。

ブランクーシを想起させる
キクラデスフォームという名前は妻のジェイン・コパーが
つけた愛称だ。背の高い細い形をこのように呼び
「あのキクラデスは、、、」という言い方ですぐに
ハンス・コパーにも通じたという。

キクラデスと呼ばれる形にはキクラデス・アロー・フォーム
とか、キクラデス・チューブ・フォームとかいくつかの
バリエーションがある。

本体は少なくとも3つのパーツに分けてろくろ挽きされ、
それを合接して焼成している。ベースと本体は焼成後に
金属の芯を通して、極めて細い一点で接着されている。

NHKアートシーンで紹介されます!

先日、NHKのアートシーンの撮影の方がハンス・コパー展
取材のために兵庫陶芸美術館に来られました。
今月15日午前9:00からの日曜美術館を
ご覧になって下さい!

「アートシーン」は最後の15分にいくつかの展覧会を
紹介するプログラムです。短い時間ですが、
兵庫陶芸美術館でのハンス・コパー展の様子をご覧頂く
ことができます。

ハンス・コパーの作品の魅力がきっと伝わることでしょう。
それで本物を見たくなったらどうぞ兵庫県相野の美術館まで
足をお運びください。

緩やかな山に囲まれた美術館でコパーに出会う。それから
ゆっくりと美術館のレストランでランチ、というのは
いかがでしょう。兵庫陶芸美術館のレストランはそれだけを
(では困るけれど!)目的に来られる方もいるほど
おいしいのです!!

兵庫でのハンス・コパー展はあと3週間足らずで終了します。
残り僅かですが、チケットご希望の方は下記まで
ご連絡ください(チケット配布はなくなりしだい終了しますので
ご了承ください。)

電話番号    03-5930-1133
ファックス番号 03-5930-3311

兵庫陶芸美術館でハンス・コパー展開催

いよいよ兵庫陶芸美術館でのハンス・コパー展が始まった。

オープニングレセプションにはヨーク美術館からのクーリエの
方も出席。主催者の乾館長初め神戸新聞の方々のごあいさつがあった。

乾館長は実際にハンス・コパーにお会いになった数少ない日本人の
お一人だ。ルーシー・リーの工房を訪問した時にハンス・コパーが
わざわざアルビオン・ミューズの工房に来て待っていて
くれたという。京都国立近代美術館で開催する
「現代の陶芸ーヨーロッパと日本」展での出品依頼のためだった。
1969年のことだろうか。

乾先生はカタログのエッセイの中で

「ハンス・コパーは、陶芸という芸術の分野において、20世紀が
生んだもっとも独創的で、そしてもっとも傑出した作家である」

と書いておられる。またコパーの芸術に対しての総論というべく
コパーの生い立ちからコパーのかたち、技法、その芸術を
あますところなく伝え、

「(20世紀後半という時代にあっても)、、、、コパーの陶芸は、
際立って革新的だった。陶芸という芸術の自立性を厳しく
保ちながら、これほど透徹した美感と確固とした存在感をもつ
作品を創造した作家は稀有である。、、、」

と非常に感動的な文章を書かれている。

コパーの作品写真を見ながらこの文章を読むと、コパーの
生きた時代と困難に遭いながらもそこで確実な意志をもって
卓越したものを追い求めるコパーの後姿が浮かんでくるようだ。

展覧会では初めてハンス・コパーを見るという方がほとんど。
一様にすごい、来て良かった、感動した、という言葉を残して
くださる。

ヨークシャーの学校の壁にはめ込まれていた実際の作品を
埋め込んだ壁の再現から身体が不自由になって片手で
作り続けた小さな作品まで、静謐な美の世界。

最後の部屋はいわば互いを抜いては語れない生涯友情をはぐくんだ
ルーシー・リーの作品も一緒に展示されている。

キクラデス・フォーム

ハンス・コパーはミケーネやエジプトの古代文明に魅せられ
さまざまな形をシリーズで作った。コパーはそれをファミリー
とよび、サイズを変えプロポーションを変えどれもが一つの
形から次々と展開された。

そのひとつにキクラデス・フォームとよばれる細く上にのびる
形がある。見た瞬間に心を捉える、または心を射るという
表現が適切かも知れない。それは力でもなく奇をてらうでもなく
ただ静かにそこに在るのだが心を捉えて離さない。

その原型、遙かな昔に人々の祈りの対象であったのか豊穣を
願うのであったか顔のない、手を前に組んだ不思議な形が
大英博物館に常設展示されている。コパーは寒さを逃れるため
この博物館によく足を運んだという。

そこで幾度となく古い文明の生み出した作品を見たことだろう。
自分のハマースミスの工房にも大英博物館で開催された
展覧会のキクラデス像のポスターを壁に貼っていた。

また、何の変哲もないただの丸い壺、遠い昔のエジプトのつぼを
いつも傍らに置いていた。コパー自身の作品も時を超え空間を
超えてかなたからやってきた存在であるように感じられる。

ハンス・コパーのディグズウェル時代

ハンス・コパーは1959年、教育者だったヘンリー・モリスに
誘われてディグズウェルの、いわばアーティスト村に
移り住んだ。そこにはすでに織りのピーター・コリングウッドを
はじめとした彫刻家や画家が移り住んでいた。

ここでコパーは多くの芸術家や建築家と出会う。
音響効果のあると言われたタイルのデザインや数理的タイル
と言われる組み合わせタイル(従来のレンガの壁に対して
薄く作ることが出来る)も作っている。量産され
様々な壁材として使われた。

また、ロンドンから2時間ほどのコベントリー大聖堂の燭台は
今も大聖堂の祭壇両脇に3本ずつ置かれている。この燭台の
マケットも9月からのハンス・コパー展で展示されます。

また同じコベントリー大聖堂には、あまり知られていないが
そろばん形の燭台もある。以前は持ち運んで使っていたが
今は価値があまりに高くなって安全のため木製のテーブルに
固定されている。

聖職者の宿舎の庭には同じくハンス・コパーの作った巨大な
花生けが半ば放置されている。6,7個残されているが
その一つには花が植えられていた。ただし、あまり手入れの
されていない様子だ。フェスティバルの時、野外で
花を生けたり植え込んだりして使うのだということだ。
(コパーは一時期グラスファイバーとセメントを混ぜて型を
作ったことがあるので、この植木鉢も恐らくコパーが型を作り、
コンクリートでいくつか作られたものと思われる)

ハンス・コパー展の作品

9月12日から兵庫陶芸美術館で立ち上がる
「ハンス・コパー展 - 20世紀陶芸の革新」では
ハンス・コパーの作品約120点はもとより、ドローイング、手紙、
ブロンズのポット、ハンス・コパー作ルーシー・リーの胸像、
娘と息子を描いたデッサンなど、ハンス・コパーを
芸術家として全体像を見せる回顧展となっている。

またハンス・コパーの芸術との深い関係を示唆する
ルーシー・リーの作品約30点を展示予定です。

メトロポリタン美術館の20世紀デザイン部門コンサルタント
J. ステュワート・ジョンソン氏はルーシー・リーとハンス・コパー
の二人展をアメリカの美術館で最初に開催した人物だが
こう述べている。

Without her, he never would have happened as a ceramist.
Without him she might not have returned to serious potting.

ルーシー・リーと出会わなかったらハンス・コパーは
陶芸家になることはなかったであろうし、彼女もまた
ハンス・コパーがいなかったら本来の作陶にもどることは
なかったかもしれない。

この言葉はとても控えめに述べられている。実際お互いの
助言や存在がなかったら今に残る作品群はあり得なかった
だろう、と多くの人が考えている。

これはバーナード・リーチがルーシー・リーの作品について
あまりにも人為的で謙虚さがない、と批判し、ルーシー・リーが
自分の作品に対して自信を失っていたからだった。

リーチの批評に打ちのめされていたルーシー・リーが
ハンス・コパーの

「自分の作りたいものを作ればよい、
自分の本来の作品にもどって」

と励まされて、その後の様々な形、色、見る人を魅了する
作品が生まれたことを指す。

ハンス・コパーはどちらかというとルーシー・リーの助手
または生徒と見なされ、そのように捉えた文章も見かけるが
実際は逆の立場だった。リーがコパーの意見を求め
相談し常にコパーの創造性を高く評価していた。

ルーシー・リーにとってハンス・コパーの作品こそが
他の誰も追従をゆるさない唯一の優れた作品だった。

これはハンス・コパーをロイヤル・アカデミー・オブ・アート
の講師として招いたデイヴィド・クイーンズベリー卿が
次のように述べたことにも表れている。

「ルーシー・リーにとってはハンスの作品が最高であって
他に見るべきものはなかった。
生徒であれプ…

メトロポリタン美術館でのルーシー・リー、コパー展

ハンス・コパーとルーシー・リーの二人展がニューヨークの
メトロポリタン美術館で開催されたのは1994-5年のことだ。

きっかけは長年ファインアートの
美術館で二人の展覧会を開催したいと願っていたルーシー・リーの
友人でBBCのフィルムにも貢献したシリル・フランケルだった。

二人展またはそれぞれの展覧会は個人のギャラリーでは
数多く開催されてきた。けれどアメリカで国立の美術館が個人の
陶芸家の作品を展示したのはメトロポリタン美術館が
初めてだった。イギリスのテイト美術館でもなしえなかったことだ。

この5年ほど前、シリル・フランケルがメトロポリタン美術館を訪れ
ハンス・コパー、ルーシー・リーの二人展企画を持ち込んだとき
美術館はやんわりと拒絶した。

しかし時は移り、1993年、メトロポリタン美術館の
20世紀デザインと建築部門の新しいコンサルタント、
ステュワート・ジョンソン氏が今度はシリル・フランケルの
オフィスを訪れる。

「美術館は装飾美術の展覧会をしてこなかった。一体いつ
テイト美術館で器の展覧会をしたかね?メトロポリタン美術館は
今や陶芸というクラフトと彫刻というアートの橋渡しをするのです」

これがステュワート・ジョンソン氏の説明だった。

シリル・フランケルは、これで美術史はイギリスにおける
20世紀の巨匠としてヘンリー・ムーア、フランシス・ベーコン
ルシアン・フロイド、そしてルーシー・リーとハンス・コパー
をノミネートするだろうと確信したのだった。

こうしてニューヨークタイムズの美術面

FATE BROUGHT LUCIE RIE AND Hans Coper together
(運命がルーシー・リーとハンス・コパーの出会いを
もたらした)

という書き出しの紹介記事(by Rita Reif)が書かれ、
ニューヨークで初めての二人展が開催された。

この時ハンス・コパーはすでに亡くなって13年が過ぎ、
ルーシー・リーはこの展覧会の会期が終わる頃ロンドンの
自宅でひっそりと息をひきとった。

この展覧会に出品されたルーシー・リーと
ハンス・コパー作品の一部は、今年9月からの
兵庫美術館ハンス・コパー展にも出品されます。


参考:インディペンダント紙1994年10月22日

ハンス・コパーのかたち

Galerie Besson HPより

ハンス・コパーは今生きていたらどんな作品を作っただろう。
よく、そんなことを考える。

ハンス・コパーの作業台にはのちのちに作品となって現れるフォルムが
ごく初期の頃から沢山現れる。最後に身体が不自由になっても片手で
キクラデス形の作品を作り続けた。病気が進行するにともなって作品の
大きさはどんどん小さくなったけれど、フォルムはいっそう研ぎ澄まされ
洗練されより完璧になっていったと思う。

ロンドンにある陶磁器のギャラリー、Galerie Besson(ギャラリーベッソン)
でピーター・コリングウッドとハンス・コパーの二人展が今日から
開催される。ハンス・コパーは陶芸家、ピーター・コリングウッドは
織りの作家だ。

美術館での最初で最後となる二人展が実現したのは1969年、
ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館だ。
この展覧会はV&Aにとっても現存作家の作品展を行うという
画期的なものとなった。当時最初に美術館から声をかけられたのは
コリングウッドだった。

「僕の方がV&Aから最初に誘われたんだよ」と自慢げに言っていた
コリングウッドはコパーを最初から高く評価していたアーティストだ。
2002年のカナダのがーディナー美術館でのコパー展でも
コパーについての資料をまとめてレクチャーしていた。

コリングウッドも亡くなった今そんな二人の作品展が開かれるとは
興味深い。ギャラリーベッソンはルーシー・リーとハンス・コパーの
作品を多く扱っている老舗中の老舗、ベッソン女史はコリングウッドは
もちろん生前のリーやコパーを知る数少ない一人だ。

もちろん売ることが目的の展覧会だが、年に一度はリーやコパーの
作品展をしている。ギャラリーベッソンは価格が高いことでも
有名で初期の頃から晩年にいたるまでのコパーの作品を持っている。

一方コリングウッドは日本にも縁のある作家だ。
1966年には桐生市文化センターに天井からつり下がる
大きなステンレス糸を織った作品がある。その時のコミッション
についてはタイムズ紙に記事も掲載された。

コリングウッドの愛弟子にあたる染織家冨田潤氏は京都で
活躍している作家だ。

ハンス・コパー幻のミューラル発見

白い壁に設置されたディスクの美しさは思わず息をのむほどです。
ディスクの中心は壁の向こうへと続く、風が流れる、空間が繋がる
日本での展示のため、壁から取り外す。壁の両側からアートハンドラーが支えながら作業します。

1959年、ヘンリー・モリスによってディグズウェル美術基金が
創設されトータルな芸術村構想が実現しました。
ハンス・コパーはその招待作家として参加、工房を持ち
タイルや衛生陶器など、建築の仕事を多く手がけました。

そこでミューラル(壁面装飾)をいくつか制作しましたが、
多くは取り壊され今では記録に残るだけの「幻のミューラル」と
されていました。

今回ヨークシャーにあるスウィントンスクールの
壁面に残されているミューラルがいわば「再発見」され
初めて公の場に展示されました。

日本でのハンス・コパー回顧展に出品のため、
学校の壁から取り外され修復作家によってクリーニングされて
新たな壁に再現されたものです。

ロンドンのサーッチギャラリーに展示されましたが、
展示の前からハンス・コパー ミューラル発見の
うわさが大きな話題を呼び、美術館関係者はもちろん
ギャラリー、コレクター、アーティスト等がおしよせました。

その美しさ静謐さ構成の卓越さ、再現された空間の圧倒的な
力強さは見る人を魅了して止みません。9月12日、それが
いよいよ日本にやってきます。

ミューラルのディスク(円盤)は壁の向こうにも同じディスクが
設置されてディスク中心の空間は壁の向こうにつながっています。
学校に設置されていたときは生徒がダーツを飛ばして遊ぶので
間にガラスが入れられました。

今回はハンス・コパーが設置したと同じ状態で空間はそのまま
壁の向こうへと続きます。そこに貴方は何を見るでしょうか。

ルーシー・リー展に続いてハンス・コパー展

ミッドタウンの21_21デザインサイトで三宅一生氏による
うつわ展が開かれ、ルーシー・リーの作品が展示された。
いろんな方からいろんな感想がヒュース・テンにも
寄せられ、またテレビの日曜美術館や美の巨人に
取り上げられて大きな話題を呼んだ。

ルーシー・リーの人気は留まるところを知らない。

ルーシー・リーを語るとき、どうしてもハンス・コパーを
とりあげなくては片手落ちというものだろう。

ハンス・コパーとルーシー・リーは終生変わらぬ友情で
堅く結ばれていた。お互いが出会わなかったらその後の
ルーシー・リーの作品もハンス・コパーの作品も
あり得なかったといえるほど、大きな影響を与え合った。

ルーシー・リーは新しい形を作るたびにハンス・コパーの
コメントを求め、ハンス・コパーもまたディグズウェルの
アーティスト村に移ってからも古いタクシーを買って
アルビオンミューズのルーシー・リー工房とディグスウェル
を往復した。

ルーシー・リーが「本物のアーティスト」と称したその
終生の無二の友人、ハンス・コパーの展覧会が9月に
開催される。

ヒュース・テンの企画で兵庫陶芸美術館、信楽の陶芸の森、
磯崎新氏の設計による岐阜県現代陶芸美術館、東京の
汐留ミュージアム、他を巡回予定だ。約130点を展示する
世界初の本格的なハンス・コパー回顧展となる。
ルーシー・リーの作品も代表的なものが20点余り展示される。

行方不明とされていた、建築と一体になった
ハンス・コパーの壁の作品が初めて公に展示されることに加え
さらに国外に出ることのなかったドイツの所蔵家からも
作品が出品される。

その造形は飽くことなき形の追求、シンプルで無駄のない
研ぎ澄まされた形と表情で見る者を魅了する。
どうぞみなさん兵庫までハンス・コパーとルーシー・リーに
会いにいらしてください。

ミッドタウンデザインサイトでのルーシー・リー展

ミッドタウンデザインサイトでの「U-Tsu-Wa/うつわ」展で昨夜、
オープニングレセプションが開かれた。1989年の草月会館での
ルーシー・リー展と同じスタイルだ。安藤忠雄氏による水の
デザイン。

水面に浮かぶアクリル台にひとつひとつルーシー・リーの器が
浮かんでいる。色を抑えた作品を集めている。

近づいて見ることはできないので細かな表情を見たい人にとっては
欲求不満が残るけれど、器のシルエット、佇まいがルーシー・リー
その人の静謐さを思わせる展示になっている。

ゴールド釉薬の掻き落としもあるがルーシー・リー後期の
ウィーンを思わせる絢爛の色合いは少ない。同時に展示されている
ジェニファー・リーの器とのハーモニーを意図したのだろうか。

ボタンのコレクションはすごい。これまで知られたデザインの他
ガラスや大振りのコート用と思われるものなど600点ほども
あるのではないだろうか。

エルンスト・ガンペールの木の器を含む三宅一生氏の審美眼を
集めた展示と言えるだろう。1989年の展覧会でのカタログも
復刻版が発売されていた。

デザインサイトのウェブページのサムネイルがルーシー・リーの
ボタンになっていてしゃれている。