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Showing posts from August, 2010

世紀の陶芸家ハンス・コパー

NHKの日曜美術館で22日、ハンス・コパーが紹介された。

番組には妻で写真家ジェイン・コパーを含む3人の貴重な
証言が記録されている。

最初、映像には係わらない、と言っていた妻のジェイン・コパーが
コパーを語る。最初で最後の映像だろう。タバコをスパスパ
吸いながら、コパーに資料を焼き捨てるように言われたこと、
限りない信頼を寄せ合っていたルーシー・リーとハンス・コパーの
たぐいまれなパートナーシップのこと、丘に眠るコパーの遺灰に
ついて。

コパーを王立芸術大学院に招聘したデイヴィッド・クイーンズベリ卿も
インタビューに答えている。高齢ながら現役のデザイナーで
クイーンズベリ・ハントというデザイン会社を経営している。
少数のデザイナーの集団で数々のデザイン賞を受賞している
輝かしい経歴の持ち主だ。ここのデザインディナーウェアは
最も高質なデザインの一端を担うとされ、アメリカのCrate & Barrelや
ウェッジウッド、ローゼンタール、ハビタットなどからの
プロジェクトに参画している。

また、アリソン・ブリトンはコパーの教え子の一人でイギリスの
現代陶芸の担い手として活躍している。滋賀県の陶芸の森での
招待作家としてこの春来日、制作した。イギリスの最も
良質な部分を体現した知識人で論客でもある。作品は世界の
さまざまな美術館にコレクションされている。

番組ゲストの乾由明氏は京都大学の名誉教授で兵庫陶芸美術館
の館長。ハンス・コパーにもルーシー・リーにも実際に会った
数少ない日本人の一人だ。

司会の姜尚中氏は東大で教える政治学者として数多くの著書がある。
ロンドン取材の映像を見ながらスタジオの姜尚中、乾由明、
アナウンサーの中條氏がコメントをしていく構成だ。

詳細は29日夜の再放送を見ていただきたいが、心に沁みる
静かで力強い、また貴重な映像と思う。

27日10:05の「歌うコンシェルジュ」という総合テレビの番組
でも日曜美術館本編を編集したものが放映されるそうです。

NHK日曜美術館ハンス・コパー

「そして不思議な形だけが残った 
    - 世紀の陶芸家ハンス・コパー」

NHKの日曜美術館ハンス・コパー紹介の番組では最後まで
タイトルの検討がなされましたがほぼ上のタイトルになる
ようです。

コパーは亡くなる前、書き残したもの、手紙、自分に
かかわるすべてを焼くようにと言葉を妻のジェインさんに
残しました。自分の痕跡を消そうとした作家。作品だけで
自分を伝えようとした作家。残された資料があまりに
少なく、コパーを直接知る人も高齢なため、このフィルムは
陶芸界にとって非常に貴重な資料となることでしょう。

病に冒され作る事はもちろん、話す事も困難になっていくとき
それでもキクラデスフォームを片手で作り続けたコパー。
そしてあとに何も残さない事を願ったコパー。どんな気持ちで
そう遺言したのでしょう。

8月22日の放送に向けてスタジオ収録が行われました。
スタジオでは兵庫陶芸美術館館長の乾先生がゲストとして出演され
姜 尚中さんとアナウンサーの中條さんとの対話でビデオ映像を
見ながらコパーが紹介されます。

実際の作品を前にしての解説なので、より一層、語られる作品を
身近に感じる事ができるでしょう。

ハンス・コパーは「どう作るかではなく何故作るか」を生涯
問い続けた作家でした。HOWではなくWHYが大切だとロイヤル
アカデミー大学院で生徒にいつも語ったということです。

姜 尚中さんの、

「何故作るかを問う事は
何故生きるかを問う事に繋がる」

という言葉はコパーの作品を深く理解した人の解釈として
心に響きます。

「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新」は9月5日まで
汐留ミュージアムで開催されています(8/12〜16日は夏休み)。
このあと岐阜県現代陶芸美術館、岩手県立美術館、静岡市美術館
に巡回します。

8月22日の日曜美術館をぜひご覧ください。

ハンス・コパーとパイオニア兵団

1944年8月線路の修復工事に携わるパイオニア兵団
(Royal Pioneer Corp資料)
(Royal Pioneer Corp資料)


ハンス・コパーはナチスの脅威が迫った1939年、単身ロンドンへ
亡命した。家族はばらばらになり、ハンスもホテルに身を隠しながら
危機一髪でロンドンに渡った。

ところがやっと亡命したイギリスで、戦争がせまると今度は
敵国の人間ということで逮捕されカナダの収容所へ送られる。
そしてパイオニア兵団に入ることを条件にまたイギリスへ
もどされることになる。

ハンスがパイオニア兵団にいたのは1941年から1943年の2年弱だ。
ここでハンスは過酷な労働によって身体を壊し除隊になった。

このパイオニア兵団なるもの、これはイギリス陸軍でありながら
アフリカ諸国、モーリシャス、インドなどからリクルートされた
労働者集団であった。また戦争捕虜であるユダヤ人が
パイオニア兵団に組織された。

建設労働力としての兵団を組織する考え方は古くからあったようだが
イギリス陸軍で正式にパイオニアの名前が記せられるのは
1762年だ。ロイヤル・パイオニア兵団なる
ものが組織され、それは名を何度も変えながら1940年に
「パイオニア兵団」となり、戦後は戦時中の功績をたたえられて
再び「ロイヤル」の名を付され「ロイヤル・パイオニア兵団」
となった。

「パイオニア」とはもともと道を開拓する歩兵、労働者を意味
する言葉というが、実際パイオニアと呼ばれる兵士たちは、
ていの良い安い労働力としてシャベルで道を掘り、溝を掘り、泥に
埋まって過酷な労働を強いられた。
パイオニア兵団の役割は建設と労働、と明記され、
帽子の印章には斧がデザインされている。

1945年には将校12,000人、イギリス人兵士166,000人、
イギリス連邦各地からのリクルート兵400,000人
パイオニア歩兵、一般市民から労働力として1,074,000人、
戦争捕虜や収容所から173,000人と、陸軍最大の部隊となった。
(Royal Pioneer Corps HPより)

この時代のことをハンスは決して語らなかったという。

ロイヤル・カレッジ・オブ・アーツでのかつての教え子の一人は
ある時一度「自分はカナダにいたことがある」とハンスが言ったのを
聞いている。「収容所」でもなく「パイオニア兵団」でもなく
「カナダにいた」と言ったときハンスの心には何が浮かんだのだろう。