
(Royal Pioneer Corp資料)

ハンス・コパーはナチスの脅威が迫った1939年、単身ロンドンへ
亡命した。家族はばらばらになり、ハンスもホテルに身を隠しながら
危機一髪でロンドンに渡った。
ところがやっと亡命したイギリスで、戦争がせまると今度は
敵国の人間ということで逮捕されカナダの収容所へ送られる。
そしてパイオニア兵団に入ることを条件にまたイギリスへ
もどされることになる。
ハンスがパイオニア兵団にいたのは1941年から1943年の2年弱だ。
ここでハンスは過酷な労働によって身体を壊し除隊になった。
このパイオニア兵団なるもの、これはイギリス陸軍でありながら
アフリカ諸国、モーリシャス、インドなどからリクルートされた
労働者集団であった。また戦争捕虜であるユダヤ人が
パイオニア兵団に組織された。
建設労働力としての兵団を組織する考え方は古くからあったようだが
イギリス陸軍で正式にパイオニアの名前が記せられるのは
1762年だ。ロイヤル・パイオニア兵団なる
ものが組織され、それは名を何度も変えながら1940年に
「パイオニア兵団」となり、戦後は戦時中の功績をたたえられて
再び「ロイヤル」の名を付され「ロイヤル・パイオニア兵団」
となった。
「パイオニア」とはもともと道を開拓する歩兵、労働者を意味
する言葉というが、実際パイオニアと呼ばれる兵士たちは、
ていの良い安い労働力としてシャベルで道を掘り、溝を掘り、泥に
埋まって過酷な労働を強いられた。
パイオニア兵団の役割は建設と労働、と明記され、
帽子の印章には斧がデザインされている。
1945年には将校12,000人、イギリス人兵士166,000人、
イギリス連邦各地からのリクルート兵400,000人
パイオニア歩兵、一般市民から労働力として1,074,000人、
戦争捕虜や収容所から173,000人と、陸軍最大の部隊となった。
(Royal Pioneer Corps HPより)
この時代のことをハンスは決して語らなかったという。
ロイヤル・カレッジ・オブ・アーツでのかつての教え子の一人は
ある時一度「自分はカナダにいたことがある」とハンスが言ったのを
聞いている。「収容所」でもなく「パイオニア兵団」でもなく
「カナダにいた」と言ったときハンスの心には何が浮かんだのだろう。
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