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1926年シシリー島でのハネムーン crafts study centre |
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1926年アイゼンシュタットにて 『ルーシー・リー モダニズムの陶芸家』より |
ニューヨーク・タイムズで「運命が二人の出会いをもたらした・・・」と紹介されたイギリスの陶芸家ルーシー・リーとハンス・コパーは、バーナード・リーチとともに20世紀陶芸の巨匠と目されます。二人はナチスから逃れてロンドンで出会いますが生涯稀有のパートナーシップと友情で結ばれ、彼らの作品はお互いを抜きに語ることはできないと言われます。その二人の物語を紹介していきます。
1926年、ヨーロッパで最初の革新的な美術学校となった工業美術学校を卒業すると、才能があり勉強熱心であったルーシーは、ポヴォルニーから誘われて彼の工房に場所を借りて自分の仕事をすることが出来た。また、エッセンでの国際展にルーシーのポットが展示されたこともあり、独立するに十分な注文も受けていた。
一方ルーシーは淡い思いを抱いていたエルンスト・リーが山の遭難事故で亡くなって以来、喪失の思いを共有していたエルンストの弟ハンスと気持ちが近しくなっていた。家族ぐるみの付き合いが続き、やがて卒業と同時に結婚することが進められた。夫となるハンスは、フェルト帽工場のマネジャーとして有能で、将来が約束されていた。ルーシーも制作を続けていこうとしていた。
二人がルーシーの実家に住むことで、ルーシーへの器の注文を父や母が代わりに受けることもあった。カラフルなフィギャーや装飾性の高いツボなどで名高いゴールドシャイダーセラミックス社が、ルーシーの作品の一点を製品化して1928年に展示したとの記録もあり(母ギーゼラからルーシーに宛てた手紙)、後にウェッジウッドからの申し出の経緯を考えると興味深い。
ただし伝統的な妻になることを期待する両親との同居は様々な葛藤も生んだ。ルーシーは両親の定期的な休暇によって家や使用人のの管理を任されることや、家族への義務、ゴンペルツ家に夫ハンスが溶け込むことを要求されると感じていた。また作品制作にもっと時間を使いたいと望んだ。
3年がそのように過ぎ、ある時叔父のサンダー・フォルフから救いの手が差し伸べられた。
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