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ハンス・コパーのディスクは今?のその後

2012年7月28日の投稿に「ハンス・コパーのディスクは今?」と題した記事がある。

先日関係者にその後のディスクの行方を聞いたところ、意外な事実が明らかになった。オークションで、美術館ではなく個人の方の所有になったということだったので、もう一般の人の目にふれることはなくなったと残念な気持ちを書いたが、実際のディスクはさらに数奇な運命をたどっている。

一旦購入されヨーロッパのある国に送られようとした矢先に、イギリス政府から待ったがかかったというのだ。イギリスでは重要な美術品を海外に持ち出すことを禁じる法律が出来ているが、今回のディスクは「輸送を禁じはしない、けれど一旦輸出されても、イギリス政府が返却を要求した場合はいつでも元の状態でイギリスに返却すること」という条例だか法律が決められそれにひっかかっているというのだ。

いつ返還を求められるかわからない作品を自国に持ち帰るというリスクを犯すコレクターはそういないだろう。どのような結果になるのかわからないが、今のところまだディスクはイギリスの倉庫で眠っているという。イギリス国内の美術館が購入できれば最も良い解決法なのだろうか。このディスクが発見されたいきさつ、日本で展示され、もとの居場所にもどれずに売りに出された経緯を考えるとまさにコパーにふさわしい数奇なストーリーに思われる。

ともあれこれは、コパーのこの作品がイギリスにとって重要だと認められたことを物語っているだろう。

バーナード・リーチからルーシー・リーへの最後の手紙

バーナード・リーチが死の3週間前ルーシー・リーに宛てた
貴重な手紙の内容が、奇跡的とも言える秘書の機微で
後世に伝えられることになった。

上の手紙は2005-2007年にニューオータニ美術館(東京)、とちぎ
蔵の街美術館(栃木)、静岡アートギャラリー
(現静岡市美術館)を巡回した「ルーシー・リー展 器に見る
モダニズム」に出品されたものだ。口述のためリーチのサインはない。

バーナード・リーチは1979年、92才で亡くなったが、その年の春
リーチがルーシー・リーに宛てた手紙を、秘書のトゥルーディ・スコット
が口述筆記したものだ。しかしそれは決してリーチの生存中に送られることは
なかった。その理由と口述の内容を、トゥルーディが明かしている。


「親愛なるルーシー、
この手紙を貴女に送るのが遅くなりました。バーナードが
亡くなる3週間程前に、私は彼の口述した数通の手紙を筆記した
のですが、一旦捨てられたその下書きをどうにか見つけようと
探していたからです。

・・・それらの手紙は、ジャネット(リーチの最後の妻)が、
自分が関係者 — 貴女や、美穂子、濱田の息子さん — には連絡を
とっているから送る必要はない、と言い、決して送られる事は
ありませんでした。

けれど今、私はそれを貴女に送ります・・・(中略)・・・
私は自分の直感に従って送るべきでした。けれどこの間、4マイルも
離れた彼の病院に毎日昼と夜通っていました。申し訳なく思っています。

トゥルーディ」


リーチの口述した手紙は、下書きを探し出した秘書の手で、
リーチの死後、ルーシー・リーに届けられた。バーナード・リーチの
手紙は以下の通りやさしさと愛情にあふれている。

  親愛なるルーシー、
  具合はいかがですか?貴女が以前より良くなっている事を
  そして恐らくまた会える事を祈っています。
  神様が今朝、僕のしっぽにちょっぴり金の粉を振りかけたよ。※
  僕の為に祈って欲しい。
  いつも、僕のすべての愛を込めて、バーナードより



※これはリーチ特有の詩的表現だとする説と、死を意識したもの、という説の両方がある。













ルーシー・リーのチョコレートケーキ

昨年末、あるテレビの番組制作会社の方から電話をいただいた。ルーシー・リーのレシピを取り上げたいという。その中で「先日見た本にレシピが載っていましたが、全く粉を使わないんですね!これは画期的なものですね」とおっしゃった。

実はその本に掲載されたレシピは、ある時知人から、ルーシー・リーのケーキのレシピが欲しいと言われていてお渡ししたものだった。ただ、そこでその人は決定的な過ちをおかしてしまった。英文のレシピに書かれていた「くるみを粉にひいて」と訳すべきところを「刻んで」と訳してしまったのだ。

欧米ではよく小麦粉の代わりにアーモンド粉を入れたりするケーキやクッキーのレシピがある。それをクルミ粉にしたところがルーシー・リーのオリジナルレシピの所以なのだ。ところが、粉ではなくクルミを刻んで入れたのではルーシー・リーのレシピとは全く異なる物が出来上がる。ケーキではなく「チョコレート羊羹」になってしまうだろう。

また、それを読んだひとたちは、それがルーシー・リーの、かの有名なチョコレートケーキレシピと信じてしまう。あのレシピが「ルーシー・リーの」と伝えられるのはルーシーにとって全く不本意なことだろう。

そのレシピは、ルーシー・リーに毎週のようにお茶に招待されていた友人からもらった、英語のメモ書きのレシピだ。彼はルーシー・リーの一大コレクターでもあり、彼女の工房を訪れる常連の一人だった。そしてある時お茶をごちそうになった席で直接に彼女からレシピを聞いたもので、彼女のサインまでされている(他にもロックケーキのレシピなども書かれている)。

ルーシー・リーのチョコレートケーキ、本物のレシピはこうだ。 チョコレート 約115グラム + コーヒー少量の水かウィスキーで溶かしたもの バター 115グラム 砂糖 115グラム くるみ(粉にひいたもの) 115グラム 玉子 4個 焼き上がったらジャムを全面に塗る。その上にチョコレートをウィスキーか水かコーヒーで溶かしたものを塗る。
ビターチョコレート、バター、砂糖、くるみ粉を120gずつの同量にして作ってみると、わずかにサクッとしてそれはすばらしい、実においしいチョコレートケーキが焼き上がった。
ここにあるルーシー・リーのサインについてもある重大な秘密があるのだが、いつかそれをご紹介したいと思う。









ルーシー・リーの釉薬レシピ

ルーシー・リーの釉薬のレシピが昨今いろいろなところで紹介されている。それらには『生誕100年記念 ルーシー・リー展 静寂の美へ』(2002年、展覧会は陶芸の森、ミウラート美術館、ニューオータニ美術館を巡回)の展覧会カタログに掲載されている、ナイジェル・ウッド氏の特別寄稿「ルーシー・リーの素材と技法」を参照しているものが少なくない。彼が、ルーシー・リーの釉薬ノートを最初に精査した研究者のひとりだからだ。
ナイジェル・ウッド氏はイギリスのオックスフォード大学首席客員研究員で中国陶磁器の釉薬についての研究における世界的権威だ。上に紹介した図録ではルーシー・リーの残した釉薬ノートを研究して詳細に分析、その技法やレシピを、その図録で紹介している。
ウッド氏は、ルーシー・リーの最大の功績のひとつは電気窯であれほどの豊かな作品を創り出したことにある、と述べている。これは当時、バナード・リーチを始めとするストーンウェアの作家たちの間に、炎による還元焼成でなければストーンウェアの焼成はあり得ないといった共通の認識があったためだ。
リーチは電気窯での焼成を「死んだ火、死んだ焼成」と言っていたほど燃焼窯による還元焼成にこだわった。ところがウッド氏は、
  「ルーシー・リーの作品は酸化焼成である。言い換えれば、彼女は   電気窯の澄んだ酸化雰囲気で作品を焼成しているのだ。ルーシー・リーが   初めてストーンウェアを作り出したのは、1948年から1949年にかけての   冬であったが、当時もっともストーンウェアに取り組んでいた陶芸家たちは、   たいてい薪窯やガス窯、石炭や石油の窯など、直火の窯で還元焼成していた。
  炎の出る燃料を使った還元焼成の方が、窯の中がわずかに煙った還元雰囲   気味になり、粘土素材と釉薬の両方に含まれている酸化した鉄分が作品に   豊かな表情をもたらすからだ・・・・・・・(略)・・・・・   ルーシー・リーは、このような酸化鉄には関心をもたず、他の着色剤や   乳白剤、たとえば二酸化マンガン、ウラン酸ナトリウム、酸化スズ、   酸化亜鉛などを好んで使用した。
  ルーシー・リーは、酸化焼成によるストーンウェアそれ自体を高度な   作品にすることに成功したのだ。ルーシー・リーの手の中で、焼成した   ストーンウェアは芸術作品として成熟し、高い完成度に達した。   彼女は、酸化焼成のストーンウェアの…