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ルーシー・リーの釉薬のレシピが昨今いろいろなところで紹介されている。それらには『生誕100年記念 ルーシー・リー展 静寂の美へ』(2002年、展覧会は陶芸の森、ミウラート美術館、ニューオータニ美術館を巡回)の展覧会カタログに掲載されている、ナイジェル・ウッド氏の特別寄稿「ルーシー・リーの素材と技法」を参照しているものが少なくない。彼が、ルーシー・リーの釉薬ノートを最初に精査した研究者のひとりだからだ。
ナイジェル・ウッド氏はイギリスのオックスフォード大学首席客員研究員で中国陶磁器の釉薬についての研究における世界的権威だ。上に紹介した図録ではルーシー・リーの残した釉薬ノートを研究して詳細に分析、その技法やレシピを、その図録で紹介している。
ウッド氏は、ルーシー・リーの最大の功績のひとつは電気窯であれほどの豊かな作品を創り出したことにある、と述べている。これは当時、バナード・リーチを始めとするストーンウェアの作家たちの間に、炎による還元焼成でなければストーンウェアの焼成はあり得ないといった共通の認識があったためだ。
リーチは電気窯での焼成を「死んだ火、死んだ焼成」と言っていたほど燃焼窯による還元焼成にこだわった。ところがウッド氏は、
「ルーシー・リーの作品は酸化焼成である。言い換えれば、彼女は
電気窯の澄んだ酸化雰囲気で作品を焼成しているのだ。ルーシー・リーが
初めてストーンウェアを作り出したのは、1948年から1949年にかけての
冬であったが、当時もっともストーンウェアに取り組んでいた陶芸家たちは、
たいてい薪窯やガス窯、石炭や石油の窯など、直火の窯で還元焼成していた。
炎の出る燃料を使った還元焼成の方が、窯の中がわずかに煙った還元雰囲
気味になり、粘土素材と釉薬の両方に含まれている酸化した鉄分が作品に
豊かな表情をもたらすからだ・・・・・・・(略)・・・・・
ルーシー・リーは、このような酸化鉄には関心をもたず、他の着色剤や
乳白剤、たとえば二酸化マンガン、ウラン酸ナトリウム、酸化スズ、
酸化亜鉛などを好んで使用した。
ルーシー・リーは、酸化焼成によるストーンウェアそれ自体を高度な
作品にすることに成功したのだ。ルーシー・リーの手の中で、焼成した
ストーンウェアは芸術作品として成熟し、高い完成度に達した。
彼女は、酸化焼成のストーンウェアの時代をもたらしただけではなく、
清潔で豊かな特質をもつ釉薬を開発した。彼女が生み出した効果によって、
ルーシー・リーの作品は、還元焼成にこだわった同時代の陶芸家の作品とは
ひと味もふた味も異なるものになっている」(上記図録論文の一部より)
として、そのレシピや技法、粘土について詳しく解説している。
粘土や釉薬に加える酸化着色剤の量についても
「この方法は、彼女独自のもので、反応性が高い酸化着色剤を少量、例えば
二酸化マンガン(1.5%)や酸化銅(0.25%)、酸化コバルト(1%)、
酸化鉄(3%)などを粘土に混入してからロクロにかけるのである」
(2002年、上記図録論文の一部より)
(2002年、上記図録論文の一部より)
と、自身の分析結果をもとに、それらがどのような効果をもたらしているかを具体的に描いてみせる。
ルーシー・リーの釉薬の再現を試みたり、その豊かな表情を取り上げる論文は多いが、ルーシー・リーが、それまでの燃焼窯による焼成から電気窯の時代の先駆をなして改革してきた事実に注目する論が今まであまりなされてこなかった、という指摘は、今に至るも真実に思われる。
(ナイジェル・ウッド氏の上記図録を参照)
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