ルーシー・リーの器の高台下部が無釉になっていることについて 釉薬が垂れてたな板に付くのを避けるため、とかそれをさらに 広く解釈してきれい好き、とどこかにあった。 はっきりとした文章として覚えていないので、私がその文章を 正しく理解していないのかもしれないが、記憶のままとするなら それは正しくない。工房はきちんと整理されていて きれい好きはあっているだろう。けれど無釉の部分について たな板をよごさないため、という説明は間違っている。 そのような理由で彼女が作品の装飾を決めることはありえない。 なぜなら、釉薬がたな板に垂れることを避けるための対策は 他の方法でおこなっているからだ。 ルーシー・リーは作品の下に環にした粘土をつけて焼成している。 そしてその環を落とさずに窯詰めするためにのりで作品の底に 着けるなどの工夫をしている。そうでなくても、そんな理由で 作品のデザインをする人はいないだろう。もしかすると その文章はただのユーモアを意味したかったのかもしれない。 では何故無釉の部分があるか。ルーシー・リーは明らかに 積極的な意味でそうしている。この部分を残すことでリーは 作品に凜とした緊張感を与えている。特に華麗な色を つけた磁器の作品を見るとこれが良くわかる。 この無釉の部分がなかったら、と考えると一層あきらかだろう。 ハンス・コパーとルーシー・リーの作品の共通点、これは ピンと張り詰めた緊張感と言えると思う。リーにあってはこの 無釉の白い地肌が、またコパーにあってはキクラデスなど 細い一点を接するだけで立ち上がるかたち。 それが二人の作品に共通する静謐な空間を生み出している。 この、緊張感、凜と立ち上がるかたち。これが二人の創り出した、 バーナード・リーチの作品から対極にある空気ではないかと思う。 ついでに言うならリーチの作品はその模様も含めて暖かい。 あくまでも安定して危うさはない。 オーストラリアの陶芸家、グウィン・ハンセン・ピゴットが 若い頃ロンドンでコパーの個展を見に行ったとき、地下の ギャラリーに降りていったときの印象を語っていた。 「階段を半分下りていったときコパーの作品が見えた。 その時の気持ちは今もありありと覚えている。 人がいるのにその部屋、その空間の空気が凍っていた。 緊張感にあふれ、凍り付いていた。人がいて話し声が あるのに、静かな静謐な、あ...
20世紀を代表する最も偉大な陶芸家として記憶されるルーシー・リーとハンス・コパー。そしてバーナード・リーチ。その作品と彼らに関わった人たちのこと、そして見聞きした展覧会のあれこれを思い浮かぶままに。ルーシー・リーとハンス・コパーの作品を愛するひとへ。