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Showing posts from March, 2012

エマニュエル・クーパー著『ルーシー・リー』

セルフポートレイト1985年、写真Ceramic Reviewより 数々の著書を持つエマニュエル・クーパー氏が1月21日、亡くなった。73才だった。自身も陶芸家であり評論家、ブロードキャスタでもありキューレターでもあり、またゲイの活動家でもあった。型にはまらない幅広い分野で活躍し、最も最近の著書『バーナード・リーチ 生涯と作品』はリーチ伝記の最高峰と言われる。 そのエマニュエル・クーパー氏の最後の著書となったのがこの夏にロンドンで発売される『ルーシー・リー』だ。あまり知られていない、リーのオーストリア時代のリサーチを重点的にとりあげたというその書物は日本語版もヒュース・テンから出版が予定されている。これはエマニュエル氏が2011年、がんの手術を終えるやリーのリサーチにもどり、彼が亡くなった死の机にはその校正が残されていたものだ。 『ルーシー・リー』は40点のカラー写真を含む110点の写真とテキストで構成され、日本語版の出版は来年になる予定。

ボンナムズのルーシー・リー

前回、「かつてボンナムズというオークションハウスがあった」と書きましたが、ボンナムズは今も存在します。どちらかというとクラシックカーなどが専門のようです。ただ、陶芸に関する限り、シリル・フランケルがいた当時の面影はありません。 シリル・フランケルはルーシー・リーと個人的にも親しく、また作品の価値を本当にわかっている人物でした。ニューヨークのメトロポリタン美術館へルーシー・リーとハンス・コパーの二人展を働きかけたのもシリルです。彼は二人を陶芸家としてより芸術家として知らしめたいと純粋美術の美術館に持ちかけました。その時点ではその試みは成功しませんでしたが、その数年後、メトロポリタンの20世紀デザイン部門コンサルタント、J・ステュワート・ジョンソン氏が今度はシリルを訪ね、ようやく二人の展覧会が実現することになりました。1994年のことです。 またシリルのもとで世界中のルーシー・リーとハンス・コパー作品を見て来たウィリアムズ氏も今はフィリップスに移り、今やフィリップスが二人の作品を扱う権威となっています。

ルーシー・リー、ハンス・コパーのオークションハウス・ボンナムズ

1997年、Bonhamsオークションの表紙 カタログ内のページ オークションハウ ス・ボンナムズ( BONHAMS) かつてロンドンにボンナムズというオークションハウスがあった。ルーシー・リーの友人だったシリル・フランケルという人物が関わり、陶芸界では最も有名な歴史的オークションを数多く主催しました。ハンス・コパー作品のオークションでは、陶芸界での歴史的最高価格を記録しています。 1997年、ルーシー・リーの没後(1995年)初のオークションが開催され、コレクターや美術館の大きな注目を集めた。ルーシー・リーの生涯を通じた作品が「SALE OF A LIFETIME」というタイトルのもとに集められ、若々しく、華やいで気品にあふれたルーシー・リーの美しい姿が表紙を飾っている。 カタログとはいえ、ルーシー・リーの下の兄、ポールによるルーシーの素描やバーナード・リーチからの道具の作り方指南の手紙など、豊富な資料と写真を掲載した今では貴重な本となっている。 このオークションでの作品のうち何点かは幾人もの手を経て日本に渡り、美術館や個人のコレクションとなっている。 またあの有名なウェッジウッド委託のコーヒーカップのプロトタイプ全 21点がオークション対象になったのもこのセールにおいてだった。 しかし、最後までルーシー・リーの工房に残されていた 21点を分散させるには忍びないと遺産相続人となった関係者の間で協議、一括してセインズベリー卿の手に委ねることになった。そのおかげで私たちはいつでもノリッチにあるセインズベリー視聴覚センターに行けばこれらに会うことが出来る。 ウェッジウッドのこの試みが何故実現されなかったのかは定かでない。ルーシー・リーは、幾ばくかのお金で買い取ろうとしたウェッジウッドの提案を断り、代わりに作品の返却を求めた。 オークションカタログに記載されたウェッジウッドのためのプロトタイプ もし、この企画が実現され、これらの作品のデザインが量産化されていたら、ウェッジウッドのみならず、世界のデザイン界を大きく変えていただろうと言われている。