Sunday, September 27, 2009

兵庫陶芸美術館でハンス・コパー展開催



いよいよ兵庫陶芸美術館でのハンス・コパー展が始まった。

オープニングレセプションにはヨーク美術館からのクーリエの
方も出席。主催者の乾館長初め神戸新聞の方々のごあいさつがあった。

乾館長は実際にハンス・コパーにお会いになった数少ない日本人の
お一人だ。ルーシー・リーの工房を訪問した時にハンス・コパーが
わざわざアルビオン・ミューズの工房に来て待っていて
くれたという。京都国立近代美術館で開催する
「現代の陶芸ーヨーロッパと日本」展での出品依頼のためだった。
1969年のことだろうか。

乾先生はカタログのエッセイの中で

「ハンス・コパーは、陶芸という芸術の分野において、20世紀が
生んだもっとも独創的で、そしてもっとも傑出した作家である」

と書いておられる。またコパーの芸術に対しての総論というべく
コパーの生い立ちからコパーのかたち、技法、その芸術を
あますところなく伝え、

「(20世紀後半という時代にあっても)、、、、コパーの陶芸は、
際立って革新的だった。陶芸という芸術の自立性を厳しく
保ちながら、これほど透徹した美感と確固とした存在感をもつ
作品を創造した作家は稀有である。、、、」

と非常に感動的な文章を書かれている。

コパーの作品写真を見ながらこの文章を読むと、コパーの
生きた時代と困難に遭いながらもそこで確実な意志をもって
卓越したものを追い求めるコパーの後姿が浮かんでくるようだ。

展覧会では初めてハンス・コパーを見るという方がほとんど。
一様にすごい、来て良かった、感動した、という言葉を残して
くださる。

ヨークシャーの学校の壁にはめ込まれていた実際の作品を
埋め込んだ壁の再現から身体が不自由になって片手で
作り続けた小さな作品まで、静謐な美の世界。

最後の部屋はいわば互いを抜いては語れない生涯友情をはぐくんだ
ルーシー・リーの作品も一緒に展示されている。

Sunday, August 23, 2009

キクラデス・フォーム


ハンス・コパーはミケーネやエジプトの古代文明に魅せられ
さまざまな形をシリーズで作った。コパーはそれをファミリー
とよび、サイズを変えプロポーションを変えどれもが一つの
形から次々と展開された。

そのひとつにキクラデス・フォームとよばれる細く上にのびる
形がある。見た瞬間に心を捉える、または心を射るという
表現が適切かも知れない。それは力でもなく奇をてらうでもなく
ただ静かにそこに在るのだが心を捉えて離さない。

その原型、遙かな昔に人々の祈りの対象であったのか豊穣を
願うのであったか顔のない、手を前に組んだ不思議な形が
大英博物館に常設展示されている。コパーは寒さを逃れるため
この博物館によく足を運んだという。

そこで幾度となく古い文明の生み出した作品を見たことだろう。
自分のハマースミスの工房にも大英博物館で開催された
展覧会のキクラデス像のポスターを壁に貼っていた。

また、何の変哲もないただの丸い壺、遠い昔のエジプトのつぼを
いつも傍らに置いていた。コパー自身の作品も時を超え空間を
超えてかなたからやってきた存在であるように感じられる。

Friday, July 24, 2009

ハンス・コパーのディグズウェル時代










ハンス・コパーは1959年、教育者だったヘンリー・モリスに
誘われてディグズウェルの、いわばアーティスト村に
移り住んだ。そこにはすでに織りのピーター・コリングウッドを
はじめとした彫刻家や画家が移り住んでいた。

ここでコパーは多くの芸術家や建築家と出会う。
音響効果のあると言われたタイルのデザインや数理的タイル
と言われる組み合わせタイル(従来のレンガの壁に対して
薄く作ることが出来る)も作っている。量産され
様々な壁材として使われた。

また、ロンドンから2時間ほどのコベントリー大聖堂の燭台は
今も大聖堂の祭壇両脇に3本ずつ置かれている。この燭台の
マケットも9月からのハンス・コパー展で展示されます。

また同じコベントリー大聖堂には、あまり知られていないが
そろばん形の燭台もある。以前は持ち運んで使っていたが
今は価値があまりに高くなって安全のため木製のテーブルに
固定されている。

聖職者の宿舎の庭には同じくハンス・コパーの作った巨大な
花生けが半ば放置されている。6,7個残されているが
その一つには花が植えられていた。ただし、あまり手入れの
されていない様子だ。フェスティバルの時、野外で
花を生けたり植え込んだりして使うのだということだ。
(コパーは一時期グラスファイバーとセメントを混ぜて型を
作ったことがあるので、この植木鉢も恐らくコパーが型を作り、
コンクリートでいくつか作られたものと思われる)

Thursday, July 02, 2009

ハンス・コパー展の作品

9月12日から兵庫陶芸美術館で立ち上がる
「ハンス・コパー展 - 20世紀陶芸の革新」では
ハンス・コパーの作品約120点はもとより、ドローイング、手紙、
ブロンズのポット、ハンス・コパー作ルーシー・リーの胸像、
娘と息子を描いたデッサンなど、ハンス・コパーを
芸術家として全体像を見せる回顧展となっている。

またハンス・コパーの芸術との深い関係を示唆する
ルーシー・リーの作品約30点を展示予定です。

メトロポリタン美術館の20世紀デザイン部門コンサルタント
J. ステュワート・ジョンソン氏はルーシー・リーとハンス・コパー
の二人展をアメリカの美術館で最初に開催した人物だが
こう述べている。

Without her, he never would have happened as a ceramist.
Without him she might not have returned to serious potting.

ルーシー・リーなしではハンス・コパーは陶芸家に
なり得なかったであろうし、彼女もまた
ハンス・コパーなしでは本来の作陶にもどることは
なかったかもしれない。

この言葉はとても控えめに述べられている。実際お互いの
助言や存在がなかったら今に残る作品群はあり得なかった
だろう、と多くの人が考えている。

これはバーナード・リーチがルーシー・リーの作品について
あまりにも人為的で謙虚さがない、と批判し、ルーシー・リーが
自分の作品に対して自信を失っていたからだった。

リーチの批評に打ちのめされていたルーシー・リーが
ハンス・コパーの

「自分の作りたいものを作ればよい、
自分の本来の作品にもどって」

と励まされて、その後の様々な形、色、見る人を魅了する
作品が生まれたことを指す。

ハンス・コパーはどちらかというとルーシー・リーの助手
または生徒と見なされ、そのように捉えた文章も見かけるが
実際は逆の立場だった。リーがコパーの意見を求め
相談し常にコパーの創造性を高く評価していた。

ルーシー・リーにとってハンス・コパーの作品こそが
他の誰も追従をゆるさない唯一の優れた作品だった。

これはハンス・コパーをロイヤル・アカデミー・オブ・アート
の講師として招いたデイヴィド・クイーンズベリー卿が
次のように述べたことにも表れている。

「ルーシー・リーにとってはハンスの作品が最高であって
他に見るべきものはなかった。
生徒であれプロであれ他の人の作品はウーン、といって
けなしたからね。
その点ハンス・コパーはどの生徒の作品も褒めて
その生徒本来の良さを引き出すことのできる
優れた教師だった」

Thursday, June 25, 2009

メトロポリタン美術館でのルーシー・リー、コパー展

ハンス・コパーとルーシー・リーの二人展がニューヨークの
メトロポリタン美術館で開催されたのは1994-5年のことだ。

きっかけは長年ファインアートの
美術館で二人の展覧会を開催したいと願っていたルーシー・リーの
友人でBBCのフィルムにも貢献したシリル・フランケルだった。

二人展またはそれぞれの展覧会は個人のギャラリーでは
数多く開催されてきた。けれどアメリカで国立の美術館が個人の
陶芸家の作品を展示したのはメトロポリタン美術館が
初めてだった。イギリスのテイト美術館でもなしえなかったことだ。

この5年ほど前、シリル・フランケルがメトロポリタン美術館を訪れ
ハンス・コパー、ルーシー・リーの二人展企画を持ち込んだとき
美術館はやんわりと拒絶した。

しかし時は移り、1993年、メトロポリタン美術館の
20世紀デザインと建築部門の新しいコンサルタント、
ステュワート・ジョンソン氏が今度はシリル・フランケルの
オフィスを訪れる。

「美術館は装飾美術の展覧会をしてこなかった。一体いつ
テイト美術館で器の展覧会をしたかね?メトロポリタン美術館は
今や陶芸というクラフトと彫刻というアートの橋渡しをするのです」

これがステュワート・ジョンソン氏の説明だった。

シリル・フランケルは、これで美術史はイギリスにおける
20世紀の巨匠としてヘンリー・ムーア、フランシス・ベーコン
ルシアン・フロイド、そしてルーシー・リーとハンス・コパー
をノミネートするだろうと確信したのだった。

こうしてニューヨークタイムズの美術面

FATE BROUGHT LUCIE RIE AND Hans Coper together
(運命がルーシー・リーとハンス・コパーの出会いを
もたらした)

という書き出しの紹介記事(by Rita Reif)が書かれ、
ニューヨークで初めての二人展が開催された。

この時ハンス・コパーはすでに亡くなって13年が過ぎ、
ルーシー・リーはこの展覧会の会期が終わる頃ロンドンの
自宅でひっそりと息をひきとった。

この展覧会に出品されたルーシー・リーと
ハンス・コパー作品の一部は、今年9月からの
兵庫美術館ハンス・コパー展にも出品されます。


参考:インディペンダント紙1994年10月22日

Wednesday, June 03, 2009

ハンス・コパーのかたち

click to view exhibition preview
Galerie Besson HPより

ハンス・コパーは今生きていたらどんな作品を作っただろう。
よく、そんなことを考える。

ハンス・コパーの作業台にはのちのちに作品となって現れるフォルムが
ごく初期の頃から沢山現れる。最後に身体が不自由になっても片手で
キクラデス形の作品を作り続けた。病気が進行するにともなって作品の
大きさはどんどん小さくなったけれど、フォルムはいっそう研ぎ澄まされ
洗練されより完璧になっていったと思う。

ロンドンにある陶磁器のギャラリー、Galerie Besson(ギャラリーベッソン)
でピーター・コリングウッドとハンス・コパーの二人展が今日から
開催される。ハンス・コパーは陶芸家、ピーター・コリングウッドは
織りの作家だ。

美術館での最初で最後となる二人展が実現したのは1969年、
ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館だ。
この展覧会はV&Aにとっても現存作家の作品展を行うという
画期的なものとなった。当時最初に美術館から声をかけられたのは
コリングウッドだった。

「僕の方がV&Aから最初に誘われたんだよ」と自慢げに言っていた
コリングウッドはコパーを最初から高く評価していたアーティストだ。
2002年のカナダのがーディナー美術館でのコパー展でも
コパーについての資料をまとめてレクチャーしていた。

コリングウッドも亡くなった今そんな二人の作品展が開かれるとは
興味深い。ギャラリーベッソンはルーシー・リーとハンス・コパーの
作品を多く扱っている老舗中の老舗、ベッソン女史はコリングウッドは
もちろん生前のリーやコパーを知る数少ない一人だ。

もちろん売ることが目的の展覧会だが、年に一度はリーやコパーの
作品展をしている。ギャラリーベッソンは価格が高いことでも
有名で初期の頃から晩年にいたるまでのコパーの作品を持っている。

一方コリングウッドは日本にも縁のある作家だ。
1966年には桐生市文化センターに天井からつり下がる
大きなステンレス糸を織った作品がある。その時のコミッション
についてはタイムズ紙に記事も掲載された。

コリングウッドの愛弟子にあたる染織家冨田潤氏は京都で
活躍している作家だ。

Friday, May 29, 2009

ハンス・コパー幻のミューラル発見

白い壁に設置されたディスクの美しさは思わず息をのむほどです。
ディスクの中心は壁の向こうへと続く、風が流れる、空間が繋がる
日本での展示のため、壁から取り外す。壁の両側からアートハンドラーが支えながら作業します。

1959年、ヘンリー・モリスによってディグズウェル美術基金が
創設されトータルな芸術村構想が実現しました。
ハンス・コパーはその招待作家として参加、工房を持ち
タイルや衛生陶器など、建築の仕事を多く手がけました。

そこでミューラル(壁面装飾)をいくつか制作しましたが、
多くは取り壊され今では記録に残るだけの「幻のミューラル」と
されていました。

今回ヨークシャーにあるスウィントンスクールの
壁面に残されているミューラルがいわば「再発見」され
初めて公の場に展示されました。

日本でのハンス・コパー回顧展に出品のため、
学校の壁から取り外され修復作家によってクリーニングされて
新たな壁に再現されたものです。

ロンドンのサーッチギャラリーに展示されましたが、
展示の前からハンス・コパー ミューラル発見の
うわさが大きな話題を呼び、美術館関係者はもちろん
ギャラリー、コレクター、アーティスト等がおしよせました。

その美しさ静謐さ構成の卓越さ、再現された空間の圧倒的な
力強さは見る人を魅了して止みません。9月12日、それが
いよいよ日本にやってきます。

ミューラルのディスク(円盤)は壁の向こうにも同じディスクが
設置されてディスク中心の空間は壁の向こうにつながっています。
学校に設置されていたときは生徒がダーツを飛ばして遊ぶので
間にガラスが入れられました。

今回はハンス・コパーが設置したと同じ状態で空間はそのまま
壁の向こうへと続きます。そこに貴方は何を見るでしょうか。