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ハンス・コパーの燭台

ロンドンから電車で約2時間北にいくとコベントリーという街があります。 16世紀に建てられた大聖堂は第二次大戦の爆撃によって1940年11月14日に 破壊されてしまいました。 外壁だけ残されていますが、廃墟に隣接して バージル・スペンスによって設計されたのが現在のコベントリー大聖堂です。 ハンス・コパーはバージル・スペンスに委託を受けて燭台を制作しました。 今も祭壇の両脇に3本ずつ、設置されています。 いかにもハンスらしいシンプルな、それでいて表情豊かな、美しい燭台です。 また、チャペルの一つに、黒い燭台も2点、置かれています。これは以前 持ち運びして実際にミサに使用していたそうですが、ハンス・コパーの 作品があまりに高価になったために、今はテーブルにとりつけてあるとの ことです。 また裏手にまわるとコンクリートで作られた大きな花生けがあります。 これもハンス・コパーの作品です。ハンスはこれに実際に花を生けて欲しい と伝えたそうですが、大きすぎるために、今ではフラワーフェスティバルなどの 機会に使われるだけだそうです。 7個残されており、庭で鉢の替わりに使われています。 sora記

バーナード・リーチ最後の手紙

ルーシー・リーはバーナード・リーチと生涯良い友人関係を保っていたことが 知られていますが、リーチとあれほど親しく教えを受ける環境にいながら 独自の作風を開花させ生涯自分自身の、他の誰のものでもない独自の作品を 作り続けました。 これにはハンス・コパーの励ましと助言が大きな役割を担っていると 思われますが、リーチほどのイギリス陶芸界の重鎮と親交を保ちながら その影響力から自由であると言うことはかなり特異なことと言えるでしょう。 作風は全く異なる二人ですが、生涯友好を暖め、時には過度とも思える リーチの友情にルーシー・リーはいつも答えました。 何月何日何時何分、パディントン駅の何番ホームに到着する、という リーチのルーシー・リーに宛てたはがきがいくつか残されています。 そのたびにルーシー・リーは駅まで出迎えに行ったのでした。 リーチが友人以上の気持ちをルーシー・リーに抱いていたことも 知られています。それは2005-2007年ニューオータニ美術館、 とちぎ蔵の街美術館、静岡アートギャラリーを巡回したルーシー・リー 「器に見るモダニズム」展に出品されていたリーチのルーシー・リーに 宛てた手紙からも推察されます。 手紙とは、リーチが亡くなる3週間前に秘書によって口述筆記された ものです。秘書がその手紙を出そうとした時、妻のジャネット・リーチから、 「出す必要はありません。(日本の友人たちも含めて)必要な人には 私から連絡します」と言われて廃棄したものでした。 けれど、あとになって秘書は「ジャネットがなんと言おうと、私は自分の 良心に従って彼の最後の手紙を貴女に届けるべきでした。これは あのときの口述筆記をやっと探し出してお送りするものです」という コメントを添えてルーシー・リーに届けました。 内容は  「私の親愛なるルーシー  身体の具合はいかがですか?少しでも良くなっていることを、そして  会えるよう祈っています。  神様が今朝僕のしっぽに金の粉を振りかけたよ※。  僕の為に祈ってほしい。  いつも僕のすべての愛を込めて。バーナードより」 (※これはリーチ特有の詩的表現だとする説と、死を意識したもの、 という説の両方があります。)

ルーシー・リーとウィーン

photo by Paul Dauer ルーシー・リーはオーストリアのウィーンで生まれ育ち陶芸を学んでいます。 ナチスの台頭とともに大きくなったユダヤ人迫害を逃れて夫とともに ロンドンに渡り、1995年に亡くなるまでその後の一生をハイドパーク近くの アルビオン・ミューズで過ごしました。 故郷のオーストリアで個展を開く話が幾度か出ましたが、そのつど ルーシー・リーは、きっぱりとウィーンでの開催を拒否しました。 どのような思いがあったのか、今となってはわかり得ませんが、ルーシーは ロンドンに渡った時点で、オーストリア人であることからきっぱりと 決別したように見受けられます。イギリスを愛しイギリスに帰化できた ことを喜び、イギリス人であることを誇りにし感謝していました。 ルーシー・リーの唯一現存するBBCのフィルムをプロデュースした シリル・フランケルはウィーンで展覧会を開催したいとルーシー・リーに 申し入れていますが、「私が死んだらいいわよ」と言われた、と 記しています。 ウィーンの人たちが失った偉大なものを見せたいと願っていた シリル・フランケルは、ルーシー・リーが亡くなって4年目にやっと それを実現させました。 ウィーンの工芸美術館MAKのディレクターからの要請でシリル・フランケルが 企画して故郷のウィーンで初めてルーシー・リーの展覧会が開かれたのは 1999年のことでした。

カナダのルーシー・リー展 Hans Coper, Lucie Rie and Their Legacy

「ハンス・コパー、ルーシー・リーとその継承者たち」展                   Gardiner Museum in 2002 見事な作品群でしょう! カナダのガーディナー美術館でのルーシー・リーとハンス・コパーの展覧会 展示風景です。 欧米の美術館は特別展でない限り写真を撮って良いところが多いですが、 この時はオープニングレセプションだったので広報の意味も大きかったのだと 思います。これほど濃縮された空間を撮ることができてラッキーでした (腕が良ければもっと良かったのですが)。 一点一点をゆとりをもって見せるのも(基本的にはそうあるのが 望ましいと思います)すばらしいですが、狭いスペースに数を並べると いうディスプレイも、見る人を圧倒させる力があるものだと感じました。 ルーシー・リーは晩年になるほど華麗な色あいの作品が増えます。彼女 が生まれ育った時代、エゴン・シーレやクリムトが活躍した大きな芸術の うねりの中のウィーンが色濃く出ているように思えます。 日本の美術館でのコレクションに彼女の作品がかなり増えてきているようです。 上の2枚にある作品についてはいつか又書きたいと思いますが、今回は 一番下の、ルーシー・リーの作品について。 一番右の高台の高い鉢は東京近代美術館で最近購入した作品と同じタイプ です。その左のグリーン釉薬にブロンズの鉢は今静岡アートギャラリーで 展示されている杉山コレクションとおそらく同じものです。 その左、薄エメラルドグリーンの背の高い花生けは日本で見かけたことは まだありません。同じタイプの真っ白の花生けがロンドン郊外のノリッチ にあるセインズベリー視覚芸術美術館に所蔵されています。盛り上がったドット 模様のスタイリッシュで暖かい魅力のある作品です。 手前のフェルール文様(筆の金輪でつけた模様)の鉢は同じタイプが やはり静岡で展示されています。信楽の「静寂の美」展で人気が高かった 美しい色合いです。 その左の象嵌の鉢もルーシー・リーの典型的な技法の一つです。 エイブベリーの博物館で先史時代の鳥の骨で描いた器を見たことで この模様を始めたということですが、より複雑な編み目模様の鉢があります。 白釉薬を掻き落としマンガン釉薬を象嵌した内側、外側はマンガン釉の 掻き落としを施した作品なども数多く残しています。 ルーシー・リーの器は静かな...

Alvion Mews アルビオン・ミューズ

          上の写真は 2001年のアルビオン・ミューズ、下は2002年 ルーシー・リーは1939年、ナチスの迫害を逃れてロンドンに渡りました。 夫ハンスはアメリカ目ざしましたがルーシーはロンドンに残り、ハイドパーク 近くのアルビオン・ミューズに小さな工房兼住居を求めました。そして95年 に亡くなるまでその生涯をそこで過ごしました。アルビオン・ミューズの 美しさは誰もが口にするところですが、私が最初にそこを訪れたとき、 雨あがりの石畳はしっとりと輝くような美しさでした。 ミューズ(小路)は住人しか行き来のない奥まったところにあり、 誰がきても誰かが見ているような行き止まりの狭い路地にあります。 ハイド・パークから一本入っただけなのにその喧噪からは遠くひっそり としてまるでルーシー・リーが戸口に現れるような錯覚に捕らわれました。 ルーシー・リーが亡くなった後アパートは人手に渡り、現在は 「元ロック歌手」が住んでいます。棟続きの2軒も購入してスタジオに 使うようだ、植木は伸ばし放題だ、などと近くの住人は噂しています。 アパートの新しい住人は植木は伸ばし放題で、美しかったドア周りの木は 手入れがされていないし、おまけに木にはクリスマスのようなライトが 飾られて夜にな るとチカチカと明かりが灯る、と近所の評判はあまり よくありません。 ルーシー・リーが住んでいた頃の面影はドアのあたりにかすかに残るだけ です。そのドアももうすぐ木に埋もれてしまいそうですが。 けれどアルビオン・ミューズそのものは十年一日のごとく静かな佇まいを 今に留めています。

ルーシー・リー展バスツアー企画

静岡市立の 静岡アートギャラリー で ルーシー・リー展が開催されています (2006.12.12〜2007.1.28)。東京のニューオータニ美術館、とちぎ蔵の街美術館 への巡回に続いて、静岡が本展覧会最後の会場となります。 各会場ごとに展示作品の一部に変更が加えられていますが、 今回は最終会場ということもあってハンス・コパーのすばらしい作品が展示 されています。台座の中にカップ形の容器が組み込まれている特徴的な作品 やスペードフォームと呼ばれる作品。大胆に刻まれたラインと深みのある釉薬が ハンス・コパーならではの表情に魅了されます。 静岡会場は高層ビルの3階に位置する静岡市の美術館でスタイリッシュな雰囲気を もち、壁に取り付けられたアクリルケースのルーシー・リーの作品をごく間近で 鑑賞することができます。また、リーチの影響を受けた黒い釉薬の器シリーズ、 ルーシー・リーならではの白い器シリーズ、また背の高い白い花生けは とちぎ会場で初めて公開されましたが、白い釉薬の中にほんのりと エメラルドグリーンのスパイラルが立ち上がる清楚で見事な一点です。 また日本初公開となるルーシー・リーの作品も2点あります。同じドロマイトの 釉薬を施しながら他の作品と全く異なる表情をもち、ルーシー・リーの 釉薬の妙に驚かされることでしょう。初公開のドロマイト釉花生はビロードの ような表情を持ち、思わず触れたくなるような暖かさを感じます。 今回のバスツアーはロダンの所蔵で有名な 静岡県立美術館 と 「画家の愛したやきもの」とHPにある ポーラ美術館 を加えた3館を巡ります。 静岡県立美術館ロダン館では 階段状になったスキップフロアには《地獄の門》 をはじめとして32点のロダンの彫刻が展示されています。 ポーラ美術館はご存じの方も多いと思いますが、箱根の仙石原に位置し、 植物体系を乱すことなく、という意図のもとにそのほとんどを地下に埋もれた 形で設計がなされ、地上部分は8メートルの高さに抑えられています。 企画展もさることながら、建物自体を見ることもおおいに楽しみです。 静岡は近くの芹沢けいすけ(漢字がこのコンピュータにない!)美術館や ビュッフェの美術館もあり、ゆったりと過ごしたいところですが、新宿を 朝でて日帰りの旅程ではとても回りきることが出来ません。今回はこの3館を 訪れる予定ですがそれ...

2002年日本での展覧会

滋賀県立陶芸の森 陶芸館 カナダでの展覧会に一ヶ月先立つ2002年4月、信楽の 陶芸の森陶芸美術館 で 「生誕100年記念ルーシー・リー展〜静寂の美へ」が開催されました。 1989年に東京草月会館で三宅一生氏によって開催されたルーシー・リー展以来 ルーシー・リーを紹介した大きな展覧会は13年ぶりのことです。この信楽での 展覧会は芸術新潮をはじめとする美術誌、新聞各紙で大きくとりあげられ話題を よびました。 この展覧会は同年7月、愛媛県松山市の ミウラート・ヴィレッジ三浦美術館 、 翌年1月に東京の ニューオータニ美術館 と3館を巡回して大きな成功を 納めました。 動員数やカタログの販売数はもちろんのこと、 「待ちに待って訪れた展覧会」「心を洗われる作品群、、、来て良かった」 「作品を見て感動した、ルーシー・リーという一人の作家がこうやって作品を 作り続けたことに勇気付けられた」「作品の前から動くことが出来なかった、、」 などと多くの感想が寄せられ人気の大きさを実感させられました。