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1925 工業美術学校時代 従姉妹とフランスシャンボール城のバルコニーにて crafts study centre |
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1920年代の釉薬ノート デザインや模様とそれぞれのレシピがドイツ語で crafts study centre |
ニューヨーク・タイムズで「運命が二人の出会いをもたらした・・・」と紹介されたイギリスの陶芸家ルーシー・リーとハンス・コパーは、バーナード・リーチとともに20世紀陶芸の巨匠と目されます。二人はナチスから逃れてロンドンで出会いますが生涯稀有のパートナーシップと友情で結ばれ、彼らの作品はお互いを抜きに語ることはできないと言われます。その二人の物語を紹介していきます。
ルーシー・ゴンペルツは、メーヒェン・ギムナジウム(中高一貫校に近い)を卒業する頃、亡くなった次兄ポールやサンダー伯父の影響もあり芸術の道に進みたい、彫刻を勉強したい、という気持ちが強くなっていた。
サンダー伯父に招待されたヨーロッパ旅行でイタリアの芸術にも触れ、また、アイゼンシュタットで発掘されたローマ時代の壺にも魅せられたルーシーは、両親の望む医者や科学者ではなく、応用美術博物館とそれに付随する工業美術学校が自分の進む道であると思った。
ゴンペルツ家はウィーンの中心であるフォルク通りにあったので、通りを下っていけばオーストリア応用美術博物館があり、その裏手に廊下続きで工業美術学校があった。リベラルな家庭に育ったルーシーにとっても彫刻家になりたいという思いを実践することには勇気が必要であったことだろう。
しかし実際に工業美術大学に進学し授業が始まると、たまたま入った教室のろくろ作業に魅せられてしまう。「私はろくろの虜になってしまいました」と後に、ルーシーの伝記を書いたトニー・バークスに語っている。
工業美術学校でルーシーは、彼女のキャリアと釉薬の化学的知識に大きな影響を与えることになる二人の指導教官に出会った。
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