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1918年従姉妹とアイゼンシュタットにて crafts study centre |
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ポール18才頃 crafts study centre |
ニューヨーク・タイムズで「運命が二人の出会いをもたらした・・・」と紹介されたイギリスの陶芸家ルーシー・リーとハンス・コパーは、バーナード・リーチとともに20世紀陶芸の巨匠と目されます。二人はナチスから逃れてロンドンで出会いますが生涯稀有のパートナーシップと友情で結ばれ、彼らの作品はお互いを抜きに語ることはできないと言われます。その二人の物語を紹介していきます。
1914年、サラエヴォで王位継承者のフランツ・フェルディナント大公と妻のゾフィーが暗殺されたことを発端として世界大戦が勃発した。
ウィーンは最初の頃こそ楽観的だったがしだいに食料統制がしかれ配給制になり、物価も高騰した。帝国を批判的に見ていたフロイトでさえ「30年のうち初めて自分はオーストリア人であると感じた」と書いたほど、愛国心が国中にうずまいていた。
ルーシーの二人の兄、テディとポールは志願してオーストリア・ハンガリー軍に入隊して兄のテディは少尉に昇進し、ポールは軍曹になった。ポールは休暇で帰ってくるとルーシーのラテン語や数学をみて勉強の手助けをした。
しかし、ルーシーが15才になった大晦日、イタリアのカポレット*での戦闘でポールの戦死したという恐ろしい知らせが伝えられた。
ルーシーの美術への才能を認め、ドローイングの家庭教師をつけるよう父親に勧めたポールはルーシーに格別近い存在だったことに加えて、自分が大晦日のパーティから戻った時にその知らせを受けたことで罪悪感をいだき、母親も受け入れがたいショックに打ちのめされた。
ルーシーは、直前の休暇で勉強を見てくれたポールが軍に戻る時、きちんとさよならも言わなかったことをからかうポールからの手紙を思い出した。「(ちゃんとさよならを言ってないんだからまったく!)・・・・チェリーをカゴいっぱいに送ってくれるまで(ルーシーを)許さないよ!・・・だから君はまた僕に会えるよ」
*この頃の、オーストリアとイタリアの国境近くでの戦闘について、イタリア軍側からの戦闘状況はヘミングウェイの「武器よさらば」に詳しい。
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3 参考図書 トニー・バークス著『ルーシー・リー』同『ハンス・コパー』、エマニュエル・クーパー著『LUCIE RIE モダニズムの陶芸家』以上ヒュース・テン発行 Crafts Study Centre Archive 他
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