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ルーシー3才、ウィーン北のヴェルデンにて Lucie Rie by Tony Birks |
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ルーシー6才、次兄ポールとアイゼンシュタットにて crafts study centre |
ルーシーはウィーンの裕福な家庭で育った。母は、ウィーン近郊のアイゼンシュタットで広くワイナリーを営むヴォルフ家の出で、子どもたちは休みごとにアイゼンシュタットを訪れて田舎生活を楽しんだ。
ルーシーを守ろうとする姿勢の強かった長兄テディより、ルーシーは次兄ポールにより近い気持ちを抱いていた。ポールは自身も絵やドローイングに優れていたが、ルーシーの芸術的才能を認めたポールは、彼女にドローイングの個人レッスンを受けさせてはどうかと父親を説得している。そのレッスンを与えたオスカー・ライナーは後に美術学校に進学するようルーシーを励ました。
ルーシーの幼児期についての記録はほとんどないが、兄二人に囲まれたルーシーの写真がいくつか残っていて、ルーシーが唯一の女の子として一家の中心にあり可愛がられて育ったことは想像に難くない。学齢期に達した時、両親は、学校は粗野な生徒がいると恐れて小学校に入学させず家庭教師をつけたほどだった。また父親は、ルーシーが成人してからでさえしばしば「私のちっちゃな娘」と呼んでいる微笑ましい記録がある。
ルーシーが10才になった時、ルーシーは初めて私立小学校に送られた。11才で中等教育を受けるにあたって両親は、当時ウィーンで科学に重点を置く進歩的な女子校、レアールギムナジウムに進学させた。ここでは古典科学のみならず芸術も教え、オスカー・ココシュカ、アドルフ・ロース等各界の優れた教師が採用されていた。両親の保管していた終了証書からは、ルーシーの成績が極めて良かったことが記されている。
しかし都会やアイゼンシュタットの田舎での平和なくらしは、ルーシーが12才の時に勃発した第一次世界大戦で一変した。それはルーシー一家にも、大きな悲劇をもたらした。ルーシーを理解し、ルーシーが最も慕っていたポールの死というかたちで。
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