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エルンスト・リー c.1920 Tony Birks "Lucie Rie" |
1918年、オーストリアーハンガリー軍は壊滅的な敗北を期し、無条件降伏を申し出てイタリアと胸腺協定が調印された。敗戦国の都市であるウィーンは飢餓や病気が蔓延し、芸術分野で活躍していたクリムトやエゴン・シーレもその犠牲となった。
政治的にはまだまだ不安定であったが、市民生活は徐々に回復し、ルーシーたちはアイゼンシュタットの祖母から野菜など食べ物を調達して従来の生活にもどりつつあった。
リー家とゴンペルツ家と家族ぐるみの付き合いがあった。リー家の二人の兄弟エルンストとハンス、そしてゴンペルツ家のテディーやルーシーはスキーや様々なアウトドア・スポーツで一緒に過ごす機会が多くあった。
兄のエルンスト・リーはウィーンの物理学助教授として頭角を現し、また卓越したスキーヤーでもあった。スキーの技術や科学的な議論を通じてルーシーはエルンストに好意以上の気持ちを抱き始めていた。
ルーシーが19才になった夏のある日、エルンストとその友人がスキーで行方不明になった。予定を2日過ぎても戻らず、弟のハンスは捜索に出かけた。そこで発見したのは氷河で凍死しているエルンストだった。
ルーシーはエルンストの弟ハンスに対してお悔やみの手紙を送ったが「ひどい喪失に苦しむ誰かに対して、虚しく響く言葉以外に適切な言葉を探すことはあまりに困難で・・・(長いことお悔やみの手紙を書けなかった)」という短い文章はおそらく自分自身に向けたものでもあっただろう。
兄、ポールの死、深い気持ちを抱いていたエルンストの死、それはルーシーの少女時代にに大きな喪失感を残した。
そんな時、アイゼンシュタットのあととりであった母方の伯父、サンダー・ヴォルフがルーシーに大きな救いの手を差し伸べた。
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